福澤諭吉は、「食」に強い関心を持っていた人物でもありました。たとえば1893年、福澤が創刊した新聞『時事新報』において、おそらく新聞史上初となる料理記事「何にしようネ」の連載がスタート。これは女性にも新聞を通して社会への関心を高めてもらうことを意図して始められたものと考えられています。また、「Curry」の語を日本に初めて「コルリ」と紹介したのも福澤で、これが現在の「カレー」となりました。
三田キャンパスには現在、西校舎の「生協食堂」と「山食」、南校舎の「ザ・カフェテリア」や卒業生・教職員向けの食堂があります。なかでも「山食」の創業は1937年。「山食」の名前が定着するのは戦後のことで、「山上の食堂」を縮めて「山食」という呼称が広まりました。また、戦後の焼け跡で、食堂後ろの斜面から吹き上げる風に揺れる様子が山小屋のようだということで「山食」と呼ばれ始めたという説もあります。創業時から変わらぬ味を守る「山食」伝統のカレーライスは、塾生、塾員、教職員それぞれの思い出の味として長く親しまれています。

https://www.keio.ac.jp/ja/about/campus/mita.html