私の編入試験

春から立教大学の3年生になる。これも中ゼミのおかげだとありがたく感じる。私は、現在、短大2年である。だが、ずっと短大生という言葉が嫌いだった。短大という結果は、私が望んだ結果ではないからである。私は、四大に行きたかったのである。それも俗に言う、MARCHという大学に。だけど失敗した。そして短大生になった。
短大での生活は、毎日が、こんな日々を続けていいのだろうか、学費がもったいないな、あぁとため息が出る毎日だった。全部が全部そうだとは言わないが、現在の短大の置かれている状況は、結構ひどいものだった。勉強しにきている人などほとんどおらず、ほとんどがいかに楽するか、または、さぼることばかり考えていて、げんなりする毎日だった。
学歴にこだわるわけではないけれど、ここが最終学歴になるのかと思うと、どうしようもない気持ちになった。そんな時、編入という制度を知ったのだ。これに賭けてみたい。希望の光が少しさした瞬間だった。こうして短大に通う目的は、編入するためという気持ちに切り替わり、目標ができたことで短大生活も少しずつ楽しいものへと変わっていった。
こうして、2年になり、夏休みもいよいよという時期にさしかかった。
英語は、自分なりに勉強してきたが、専門科目はどうしようと悩んでいたときに中ゼミの存在を知り、夏期講習だけでもと思いお世話になることした。
ずっと社会学がやりたいと思っていたものの社会学の知識も全く知らず、授業に出てくる新しい言葉に驚き、そしてそれを当然のように知っている春からいる中ゼミ生に驚き、また論文をさっと仕上げてしまう中ゼミ生に驚きと、驚きの連続だった。
「夏から来た人、書けないからといって焦らないで、コツコツやれば書けるようになるからね。」という赤田先生の言葉に救われ、ライバルは中ゼミ生と決め、このブランクを埋めるため、先生から薦められた本を読み込み、知識をストックし、授業で書けなかった論文を、本を読みながら調べながら。自宅でその日のうちに何時間もかけ仕上げる、というサイクルを続けていった。時には朝の4時、5時までかかったが、自分は人より遅れている、今は中ゼミ生に追いつくことが一番重要、と必死になって勉強した。
不思議と辛くなかったのは、自分が知らないことを知れる楽しさや、社会学が楽しいと感じたからである。そして気づいたときには3時間かかった論文が2時間、1時間、そして何も見ないで書けるようになっていたのだ。こうしてことあるごとに赤田先生に面談の予約を入れ、編入の悩みを解決していった。
夏期講習で、中ゼミなしでは編入は難しいと気づいた私は、2学期も継続するよう考えたが、自分で払っていたのでお金の制限もあり、単科生で継続することにした。社会学は本を読みある程度目処がついたので、やはり最後は英語かなと思い英語をとることにした。こうして2学期に入り、とうとう受験が間近に迫ってきた。
第一志望はお茶大の文教育の社会、そして滑り止めに立教のコミュニティ福祉を受けることにした。当初は社会学のみと考えていたが、社会のあらゆる構造を考察していく社会学を勉強していくにつれ、社会学の中で、特に福祉に関心を抱くようになり、受けてみることにした。そして、お茶大の試験が終わり、手応えは感じられなかった。論文はできたが英語がいまいちという状況。親から借りたお金だったので、あぁまた無駄金を費やしてしまった、親に申し訳ないというのが試験直後の感想だった。
そして第一次合格発表日、見る勇気はなかったが深夜こっそりとネットを広げると見覚えのある番号があった。えっ?嘘でしょ?そう、あったのである。全身が紅潮し震えた。一次だけど私は、死ぬほど嬉しかったのである。そして後日、迎えた立教試験日。お茶大一時通過の自信もあってか、落ち着いて取り組むことができた。
そして、立教大学に合格できた。結局、お茶大の方は、二次で落とされてしまったが、悔しいというより、よくここまでこれたなという気持ちだった。限られた時間の中で、限られた予算で、よくやったと思う。親も「よく自分でやったわね」と誉めてくれた、そして認めてくれたのだ。
「中ゼミなしに編入は語れない」とパンフレットに載っていたが、これは本当だと思う。あの夏、中ゼミに入って正解だったと思う。本当にありがとうございました。

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