人生は挑戦の連続

 まず、なぜ僕が編入試験を受けようと思ったかといえば、単純に大学受験に失敗したから、大学受験に後悔があったから、です。そういう自分を親が理解してくれて、そして中央ゼミナールを紹介してくれて、僕は中央ゼミナールとともに大学編入を目指すことを決意しました。
 とりあえず、目指したのは経済の編入試験の中で最もレベルの高いであろう京都大学でした。そして、東北、神戸、横国と続きます。とにかく国立大学でした。結局、TOEFLが嫌すぎたし、良い点数が取れなかったし、何より、なんと、単位が足りなかったので断念しました。(笑)でも、あの勉強量だと受からなかったかなと思います。わからないですけど。
 それで、目指すのは東北、神戸、横国になりました。関東以東が理想だったのですが、神戸に行ってみたくて神戸を受けました。良いとこでした。試験勉強は完全に手探りでした。自分は法学部生で、編入試験がどんなものかもわかりませんでしたし。とにかく、先生方の言うことを聞いて実践するのみでした。最初はダメ出しだらけで大変だったのですが、だんだん成績がよくなっていったときはとても嬉しかったです。特に模試で、ミクロとマクロで両方とも満点近く取れたときはとりあえず「今までの勉強法は間違ってなかったんだ」と思えました。そうやって勉強を進めていったのですが、結果、合格していたのは受けるか受けないか迷い、期限に間に合わなそうだから書類を出そうか出さないか迷った新潟大学のみでした。勉強方法がインプットだけだったのがまずかったかなと思います。答える内容はわかっていても、質問の仕方がいつもと違うだけでうまく答えられませんでした。アウトプットが足りませんでした。
 経済の編入試験がかたまっている11月を終えて手にしていたのは新潟大学の合格のみ。それまでの編入試験の勉強で後悔がないかと言われれば、正直、やり切ったという感覚はなく後悔はありました。となると、筑波の受験一択なのですが…。実は、僕は筑波大学を既に2回も受験しており、筑波には緊張の記憶しかなく、行きたくもありませんでした。筑波のことを考えると心臓がドキッとして心の奥底がいやーな感じになります。しかし、後悔を晴らせるチャンスがあり、これまでの勉強に改善の余地があったなと感じていたのでチャレンジすることにしました。決めたのは年末です。僕にとっては、トラウマのある筑波の再受験はとても大きな挑戦でした。
 それからの2か月は本当に大変でした。1月は単位が取れていなかったので大学の方の勉強に専念しました。本格的にまた受験勉強を始めたのは1月末からです。周りの皆が遊ぶ中、勉強、勉強、勉強…。早起きして、勉強して、ご飯食べて、洗濯して、寝る。そして、早起き。他の予備校生の皆さんも受験はほとんど終わっていたので、孤独の戦いでした。筑波の試験はフルコースで、特に面接が嫌でした。最終的には、自分のためにつくってくれたようなテストのおかげで合格できたのですが。(笑)合格発表で自分の受験番号を発見したときは、「神様ってほんとにいるんだ…」と思いました。どうやら、受験の時が疲労やらストレスやらがピークだったようで、唇には見たこともないような大きい口内炎ができ、首のリンパは腫れ、スーツのシャツの第一ボタンが閉まりませんでした。まさに満身創痍。1日目が終わってホテルにいるときに励ましてくれた友達には感謝してもしきれません。なんだかんだ言って三度目の正直で合格できた筑波大学には縁があったのかなと思います。受験してよかったです。
 これを書いている今は引っ越しを終えつくば市内のアパートに住んでいますが、未だに受験の日、大勢の高校生たちと歩いたつくば駅を通れば心臓がドキッとしますし、普通に生活していて心が落ち着かない感じがします。時間がこの感覚をなくしてくれるのを待ちます。もちろん、憧れだった筑波大学での学生生活は楽しみですよ。この一年間の受験勉強を通して、白髪もたくさん生えました。勉強を頑張った勲章です。このチャレンジは多くの人々に支えられて達成できました。学校や環境は違えども一緒に編入を目指した高校の同級生、いつも僕を励ましてくれた高校の同級生、互いに支えあったK君!親身になって指導してくださった先生方、そして両親。本当にありがとうございました。やっぱり、人生は挑戦の連続です。

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