将来に向けて研鑚を

 僕は編入を決意したのが、1年生の春休みの時でした。元々、1年間浪人していて明治大学を目指していました。しかし、残念ながら不合格という結果になってしまい、今の大学に通っていました。通っていた大学は滑り止めで受験した大学でかなり学歴コンプレックスを抱えて大学に行っていました。講義そのものは、とてもためになるものだったのですが、周りの人たちがとてもうるさく、講義をまじめに聞かずにスマホをいじっている人たちが大半でとても勉強に集中できる環境ではありませんでした。また、期末や中間テストなどでは図書館で勉強している人がほとんどいなかったり、周りの友達もテスト前に全然勉強しなかったりと、勉強に対する意識が非常に低い環境でした。結局、1年今の大学で学び、この環境に満足できずに編入を決意しました。
 僕は経営学部に所属していたのですが、経済学部のみ受験しました。なぜなら、そもそも経営学を特別学びたいとも思っておらず、経営学部の必修科目の中に経済学の講義が多数あったので、受験する際に有利になると思ったからです。夏休み前の前期の期間で大学の経済学の講義を受講しました。主にミクロ経済学やマクロ経済学を受け自分でも経済学のテキストを購入し大学の講義とテキストで勉強していました。また、分からないところは直接教授を訪ねて教えてもらいました。夏休み前はどこを受験するのかも具体的に決めていませんでしたが、とりあえず受験できる大学の選択肢を可能な限り増やすために経済学の勉強と並行してTOIECも受けていました。結局、5月に受けたTOIECの440点が最高点で、それ以降2回受けましたが、それより高い点数を取ることができませんでした。   夏休みに入り中ゼミの夏期講習を受講しました。その時に通信コースにも同時に入会しました。中ゼミに入会すれば過去問も閲覧できるし進路相談、また面接練習、などの様々なメリットがあったので入会しました。夏期講習は独学では難しい時事経済の論文の授業を受講し、通信コースではミクロ、マクロ経済学と英語を受講しました。夏期講習の期間中に中ゼミの先生に志望校の相談をし、そこで大体日東駒専MARCHのレベルの大学を受験することを決めて、そのレベルの大学の過去問をコピーし、問題傾向を探りました。そして受験資格や過去問題を見て、中央大学、駒澤大学、東洋大学、専修大学を受験することを決めました。
 その後、受験までの間、夏期講習で配布された資料を何度も読み、新聞の経済に関する記事を自分でノートにまとめたりして時事論文の対策を行い、さらにミクロ、マクロ経済学は、通信コースの課題を順に解いていきました。英語も課題を順に和訳していき、分からない単語や文法を辞書や参考書を使って調べ、ルーズリーフに書き留めてファイルに挟み何度も復習しました。そして、10月に中央大学を受験し、英語と論文の試験をうけました。英語は一般試験のようなタイプで選択問題と和訳の問題が7:3ぐらいの比率で出題されました。論文は一般教養とミクロ、マクロ経済の論述問題で、配点が一般教養30点の経済論文70点の計100点満点の試験でした。しかし、経済学の論文は僕がまだ勉強したことのない範囲だったので全然書けず、不合格という結果になってしまいました。
 次に駒澤大学を11月に受験しました。駒澤大学は願書に過去3年間の過去問がついてきたので試験前はそれを中心に勉強していました。試験は英語の全文和訳と経済についての論述と面接でした。ただ中央大学とは違いミクロ、マクロ経済というよりは、一般的な経済の知識に関する論述でしたが、僕はその内容をあまり詳しく知らなかったので、あまり書くことができませんでした。しかし、英語が、辞書持ち込み可の試験で普段辞書を使って和訳をする練習をしていたので、本番では、時間内に全文和訳をすることができました。個人的にこれが合格の決め手になったと思っています。最後に面接では前日に直接中ゼミに訪れ面接練習をしてもらいダメな部分をアドバイスしてもらい、それをノートに書き留めて自分の面接の順番が回ってくるまでずっと見てイメージトレーニングを重ねていました。おかげで面接では、緊張せずに上手に受け答えができたと思います。
 12月に東洋の試験に行く直前に駒澤から合格通知が届き、めちゃくちゃ喜び、すぐに親や大学でお世話になった教授たちに連絡し喜びを分かち合いました。結局駒澤が受かったので東洋と専修は受けずに終わり、僕の編入試験は幕を閉じました。編入試験を通じて大学の教授達、親や中ゼミの先生方の支えがあって受かったと思っています。一人では決して受からなかったでしょう。感謝しつつ駒澤大学でしっかりと勉強して将来に向けて研鑽を積んでいこうと思っています。

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