神様から与えられた最後のチャンス

 2012年の夏、私は高校を中退しました。中高一貫校における過密な勉強や、担任の先生によるパワハラ、前年の東日本大震災による影響などが重なった結果、私は心を病んでしまい、2011年の段階で既に学校へ通う事が出来なくなっていた為、苦渋の末に高校を中退したのです。この決断は、過酷な受験勉強の末に中高一貫校に合格する事が出来た私にとって、断腸の思いでした。
 それからの3年間は、私にとってまさに地獄の様な日々でした。人生の道を踏み外しただけでなく、(まだ自分の認識出来る世界が狭い子供にとっては、中高一貫校から有名大学に合格する事が人生におけるエリートコースだと思えたのです。)社会のどの組織にも身を置く事が出来ていない宙ぶらりんの不毛な生活を送っていました。自分の居場所を持たない当時の私は、社会にとって何者でもなかったのです。まさに「三年鳴かず飛ばず」の日々であり、世間の人々は各々の未来に向かって着実に歩みを進めているにも関わらず、自分だけが何もする事が出来ないまま、ただひたすらに足踏みを繰り返しているという事実が何よりも堪えました。
 その為、大学(元々在籍していた大学)に合格した時は本当に嬉しかったです。たとえ第一志望の大学でなくとも、社会の中に自分の居場所を見つける事が出来たという事が、私を安心させてくれました。もう以前の様に病院に通いつつ、高認試験や大学受験の為の勉強を、予備校の先生に叱られながらしなくても良くなったのです。
生活にメリハリが生まれた事で体調が更に回復していったのか、私は徐々に勉強の勘を取り戻してゆき、以前の様に勉強に励む事が出来る様になっていました。大学生活に余裕が見え始めると、私は再び本来自分がしたかった勉強、つまり気象の勉強がしたいと思う様になっていきました。(元々、小学生の時に雲を見て美しいと感じた事から将来は気象の研究をしたいと思い、中学受験をしたのもその為だったのです。)
 そこで、母と共にインターネットや口コミなどで情報収集をしたところ、筑波大学に編入試験という制度がある事を知り、それに挑戦してみようと決心しました。将来は気象の研究をしたいと思う私にとって、筑波大学はまさに理想の環境であり、編入試験は私にとって、それまでの人生をひっくり返し、再び昔日の栄光を取り戻す為に神様から与えられた最後のチャンスでした。
 調べたところ、高円寺の気象神社のすぐ近くに、中央ゼミナールという編入試験の受験勉強を専門とする予備校がある事を知り、運命の様なものを感じた私は中央ゼミナールに通う事を決めました。(そもそも、気象神社の存在を教えてくれたのが、私が中学受験を行った際に師事した家庭教師の先生だったのです。)
中央ゼミナールで私は、粕谷先生の指導の下、編入試験の受験勉強に励んでゆきました。中学以来、地学の勉強をした事が無かった私は、まず高校地学の教科書と資料集を読む事で基礎学力を身に付け、その次に筑波大学の地球学類で実際に使用されている教科書を読む、という大まかな勉強計画を立てる事にしました。しかし、大学の勉強の合間を縫って編入試験の受験勉強を進めるのは容易な事ではなく、計画通りに勉強を進める事が出来ないまま、あっという間に試験当日を迎え、準備不足のまま試験本番に望む事になってしまいました。それでも、合格したいという強い意志があった為、私は自分の力が及ぶ限り健闘しました。
 そして合格発表の日、私は恐る恐る合否の通知が入った封筒を開封し、中身を確認しました。――結果は不合格でした。不合格の通知を実際に目にした時、私は怒りや悲しみといった負の感情ではなく、えも言われぬ脱力感に襲われました。「何故!?やるだけやったのに、どうして!?」という思いではなく、「ああ、やっぱり駄目だったか…。」という思いでした。
 その様に思ったのは私自身、準備不足のまま試験に臨んでしまった事を自覚しており、心の何処かで「こんな学力では、筑波大学に到底通用しないだろう…。」と、半ば諦めていた為です。しかし、すぐに私は固く心に誓いました。「来年こそは必ず合格してやる」と。(筑波大学の編入試験に合格する事は、私にとって将来の進路に直結する事であり、どうしても夢を諦める事が出来なかった私は、母と相談した上で、編入浪人をする決意を固めたのです。)
 明確な目的意識を持って一応は努力をしたにも関わらず、結果が報われなかったという屈辱を味わった為か、久し振りに私の奥底に眠っていた闘志に火が点きました。(高校を中退して以来、私は完全に打ちのめされており、高認試験の時も、大学受験の時も、心に強い闘志を抱いた事は無かったのです。)そして、それからの私は、以前の様にただ漫然と編入試験の受験勉強を行う事はありませんでした。
 「さて、これからどうするか?」来年こそは、と意気込んでみたものの、以前の様な勉強を繰り返していては、筑波大学の編入試験に歯が立たない事は火を見るより明らかでした。そこで私は、まず勉強計画の見直しに着手しました。
 それまでは、「毎日これ位勉強すれば、合格出来るだろう。」という考えのもとで、現実的ではない勉強時間を設定していましたが、勉強時間ではなく1日あたりのノルマを設定し、また休憩にあてる時間に制限を設ける様にしました。そうする事によって、毎日の目標を明確にし、またダラダラと過ごす時間を出来る限り減らす様に努めました。
 次に、在籍大学の授業は最低限のものだけを履修し、可能な限り編入試験の受験勉強に充てる時間を確保する様にしました。これは、1回目の編入試験の時は、大学で多くの授業を履修した事に加え、並行して筑波大学の編入試験の受験勉強も行った事で、結果的に虻蜂取らずになってしまった、と判断した為です。また、次こそは編入試験に合格しなければならない。従って、大学の勉強を犠牲にしてでも、編入試験の受験勉強に尽力しなければならず、こうなった以上、自らの退路を断って背水の陣の覚悟で試験に挑まなければ合格する事は出来ない、と悟った為でもあります。
 また、筑波大学の地球学類で実際に使用されている教科書を読む事が非常に重要である、と改めて認識した為、(正直、高校地学の教科書と資料集だけでは、基礎学力を身に付ける事は出来ても、筑波大学の編入試験にはまるで不十分でした。)通学中の電車内で過ごす時間や、大学の授業の空き時間といった隙間時間を利用して、教科書を毎日欠かさず読む様にしました。一度に読める分量は、せいぜい2〜3ページ程度でしたが、まさに「塵も積もれば山となる」であり、数ヶ月経った頃には、自分でも驚くほど読み進める事が出来ていました。
更に、編入試験の受験勉強をする時は、出来る限り自宅ではなく、大学の大学図書館や、中央ゼミナールの自習室を利用する様にしました。そうする事によって、どうしてもプレッシャーが少なく、弛緩してしまいがちな編入試験の受験勉強に対するモチベーションを維持する様に努めたのです。(編入試験は通常の大学受験とは異なり、自分の身の回りに競争相手となる他の受験生や、士気を鼓舞してくれる教師が居ない孤独な戦いであるが故、大学受験以上に自己管理能力が問われるのです。)
 そして、何より2回目の編入試験を受験する時は必勝の信念を以て試験に臨みました。私は高校を中退して以降、精神論を強く忌避する様になっていましたが、(中高生の時は逆に精神論を信じる事でがむしゃらに勉強していました。結果的にその行為が裏目に出た訳ですが…。)それでもやはり、乾坤一擲、一世一代の大勝負に挑む際は、それまで努力を積み重ねてきた自分自身を信じて、勝利を確信しなければ、絶対に勝利を収める事は出来ない、と考えを改めた為です。(精神論には、良い精神論と悪い精神論があって、良い精神論は自分を信じる力によって勝負に打ち勝とうとする、根拠のある自信に基づくものです。しかし悪い精神論は、勝負に臨むにあたって充分な準備を行っていないにも関わらず、自分を信じる力だけでどうにかしようとする、根拠の無い自信に基づくものです。)
そうして受験勉強を進めていく内に、いつしか2回目の試験当日を迎えていました。私は、2時間の試験時間の間に持てる力の全てを出しきり、決戦に勝利する覚悟で試験に臨みました。「これが私の、決戦なんだ!」私は自分の人生を賭けた試験に対し一心不乱に取り組み、ふと気がつけば試験は終わりを告げていました。あれだけ試験に対する準備を重ねてきたにも関わらず、終わってみればあっという間だったので、私はまるで白昼夢を見ていたかの様に感じました。
 そして2週間後、私の手元に編入試験の合否を知らせる1通の封筒が、筑波大学から届きました。私は1年前の時と同じ様に恐る恐る封筒を開け、中身を確認しました。――結果は合格でした。私は感動のあまり、目頭が熱くなりました。「これで、今までの6年間がやっと報われる…。」嬉しかったです、ただただ嬉しかったです。自分が今までやってきた事が無駄ではなかったと証明されたのですから。
 筑波大学の編入試験は、私にとって非常に重要な経験になりました。病に臥せって高校を中退し、絶望に打ちひしがれていた私に一筋の光明を与え、運命は自分の力で変える事が出来る、という事を教えてくれたのです。皆さんも決して自分の夢を諦めないで下さい。人生は一度きりです。後から自分のそれまでの人生を振り返った時に、「本当は、~したかったなぁ…。」という悔いが残る様な人生は送らないで下さい。未来は今の延長線上にあります、未来を決めるのは今の皆さんです。
 最後に、今回の編入試験に合格する事が出来たのは、ひとえに中央ゼミナールの粕谷先生のご指導や、母の力添えがあったおかげです。私一人の力では、ここまでする事は出来なかったでしょう。この場を借りて、お二人にお礼を申し上げます。本当に、どうもありがとうございました。

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