高望みしてください!

 私が中央ゼミに入ったのは二年生の5月頃でした。他の塾も検討していたのですが、自分から予習や復習をやりながら塾に通うというタイプではなく、毎日通いその場で勉強させてくれる学校みたいなところで、徹底的に勉強させてもらえるということで中ゼミを選びました。家からは遠かったため、近場の塾の方がいいのではと周りからは言われましたが、今まで、色々な塾に通ってきた自分の経験上、基礎から徹底的にやってもらえること、面倒見の良さ、本格的に編入用の勉強をさせてもらえるという点や情報量の豊富さも魅力的に思い、自分で中ゼミに通いたいと思い決めました。このとき、中ゼミに決めて本当に良かったと思っています。電話で先生に相談したときにすごく理解があって、「受かりますよ!」「自信ありますから任せてください」と言われ、頼りになりそう、期待したいけれど…と迷いに迷った結果、編入を決意しました。当時は仮面受験に失敗し、何もしないで次の目標も決めないでいれば本当に自分がメンタル的にもダメになってしまいそうだったので、たとえダメでもチャレンジしたいという思いがありました。今の学校にいる限り、成績が悪ければ話にならないと思っていたし、1年生のときには受験のため取得単位が少なかったため、2年生にはたくさんの単位をとらなければと思っていたので学校の授業は前期、かなり多めにとっていました。去年の仮面受験の失敗もあったので編入で失敗したときのために、単位をたくさんとっておかなくてはという思いもあったし、受験は後期なので、後期に負担を減らしたいという思いもありました。これは、スケジュール的にかなり無理があり学校と中ゼミと合わせると1日中授業受けっぱなしという感じでした。後々、授業をとりすぎたことはすごく後悔することになりました。

正直、編入を決めて中ゼミに入るときは、すっかりテスト恐怖症になってしまった自分が、編入でうまくいくなんて思っていませんでした。受からないと思う、でも、やりたい! みたいな感じでした。ダメもとでも、何かに必死に取り組んでいたいと思っていたんだと思います。実際、何かに全力で取り組むことで、現状を忘れたかったんですね(笑)。

 中ゼミに入り、学校の授業もとりまくっていた私は本当に授業受けっぱなしだったので、復習など家での勉強も合わせて、寝る時間ないじゃん! ってときも結構ありました。体力的に本気できついと思ったし、結果中ゼミの授業を減らすことになり、学校のテストを夏期講習などで受けに行けず、単位をいくつも落としGPAもかなり下がってしまいました。出席重視の学校だったのである程度、毎回真面目に出席していた自分は今まで何のために…何をこんなに無駄に頑張っていたのか…という感じで自分が情けなくなりました。前期の復習もできず夏休みに入り、夏期講習のマクロミクロなんかはほとんどわかりませんでしたって感じでした。前期の学校の授業は途中からでもやめればよかったなと思いました。とってしまった手前、途中でやめれば、今まで頑張って通っていた努力が無駄になるということとFがつくということが嫌で、途中で投げ出すことができず最後まで引きずってしまったので、自分の計画性のなさに悲しくなりました。夏休みに入る前も、夏休み中も、先生から言われていた英語の課題も中途半端で、言われたこともちゃんとできない自分は絶対に受からないなと思っていました。やめるという考えは浮かびませんでしたが、落ちても、自分は中ゼミで、知識をたくさん身につけさせてもらって、小論文や英語を基礎から学べて良かったなと早くも思っていました。TOEICも本当はとりたかったのですが、あきらめるしかなく、TOEICとマルクス経済を削った時は大幅に可能性が狭まってしまったと思いました。本当は思っていたほどではなかったのかもしれませんが、そのときはよくわかっていませんでした。

 夏休みのミクロ・マクロも結果としては復習できませんでした。元々苦手だったということもあるのだろうけれど、理解が悪く、1学期の分を理解するので手一杯でした。二学期からは、マクロミクロ経営学の授業を削るしかありませんでした。授業をやめると言ったとき、先生達には「毎年そういう人はいるけれど、最後まで授業とっている人の方がうかるよ」「やめると、不安になるし、経験上おすすめしませんね」と言われ、どうすればいいのかわからなくなり、とても不安でしたが、基礎もできないのにどんどん進め、自分のモノにできない勉強範囲を広げて失敗するのは嫌なのでやめました。その分、学校の空き教室で、ひたすら1学期の分を繰り返しました。

 二学期、私が受験したのは名古屋、駒沢、中央経済学部、中央商学部、富山大学でした。

 9月名古屋大学に初の受験に臨みました。結果から言って落ちました。遠征って大変ですね。本当に大変でした。私は地方出身者ではなかったので、入試旅行なるものを経験したことがありませんでした。まあ、良い思い出になったと思います。このときは割と精神的にも落ち着いていて、専門と英語2時間2時間という長い時間無事に試験に集中できて、本当に良かったと思います。私は試験に対して、異常に恐怖心があり神経症でした。一般のときは、自分の高校がかなりかわっていて、自由にさせてくれなかったというのと、自分が単にアホだったこともあり、予期せぬ事態で入試に突入してしまいました。自分の得意で頑張ってきた教科が受験教科にできず、苦手な教科に直前に切り替えたので、どうせできないのにという気持ちを押さえに押さえて、試験、試験とつづいてしまいました。そのときの悲惨な体験は強烈に心に刻まれました。そのとき以来、試験のときの震えと緊張はもちろんのこと、足の冷えが気になって集中できないとかトイレ行きたいんじゃないかとか喉かわいて我慢できないんじゃないかとかの不安におそわれてしまうようになってしまいました。だから、普通に集中して試験自体を無事に終えることが自分にとっての一番の課題でした。名古屋は独創的な小論文を書かなければいけない入試で、問題傾向が自分に合っていました。夏期講習の難関大論文講座では、独自性のある文章をセンスが良いと褒めてもらえました。今まで自分が小論を得意だったなんて思いもよらなかったので、良かったなあと思っています。名古屋の入試のときもそれを発揮できれば合格したのかなと思います。そのときは、気持ちを落ち着かせるためにも名古屋なんて難しいところは、自分の身の丈には合ってないし、受かろうとするんじゃなくて練習だと思うことにしていました。「独自のアイデアが思い浮かばなかったら、習っていることをかくんだよ。独創的じゃなかったら読んでくれない訳じゃないからね。」という先生の言葉も心に残っていたので、かすかにアイデアはあっても書かずに、安全圏を狙って、確実に、という気持ちで、ただただ、習った知識を書き並べてしまいました。その後はもし、受かったら、ここで入試おわれるんだよな…!?ということが頭に浮かび、試験で自分の独自性を思い切りぶつけられなかったことをものすごく後悔しました。名古屋入試前は、名古屋は受からなくてもいいんだ、中央さえ受かればいいと思って気を落ち着かせていましたし、高望みしないようにもしていました。しかし、終わってからは名古屋に受かりたかったという思いは最後まで引きずりました。だから、これから編入を志す皆さんも、遥か上を狙えるのが編入なので、謙虚な気持ちではなく、上を目指していいと思います。その方がテンション上がりますし、私は早く受験を終えたいという気もあり、名古屋の結果発表を待っていました。本当は受けたことは忘れて、次のこと、目の前のことに集中しなくてはいけないのに、忘れられませんでした。結果発表の日にはむなしくも何も届かず、焦らされました(笑)。二日後ようやく小さい封筒で不合格通知到着。何となく感じていたけれど、すごく悲しかったです。これからもまだつづくんだな(鬱)って感じでした。そこからが本当に辛かった。

 二回目の受験は駒沢でした。自分の大学のスケジュール的に履修期間が終了する前だったので、履修確認表が出願書類に含まれていたのに用意できず、日大に受験拒否され、日大の代わりに駒沢を受けました。日大には電話で拒否された後、「用意できないものを要求してくる方が悪いし、そのまま出しちゃっていいと思う」と先生たちに言われ、長めの志望理由書も書いて出したのに、電話で却下されたので、力尽きてしまいました。10月あたりは、地方国立もいくつか入試があったので申し込めば良かったと今でも後悔しています。そのときは自分のスケジュールにも心にも余裕がなく、あたふたしているうちに締め切りをすぎてしまいました。とめられるところを練習でもいいから受けておくべきだと言われ、日大に申し込みました。正直、生意気にも自分が日大が好きではなかったので、テンションは下がりました。結局、受験拒否されてからは、せっかくそろえて志望書まで書いたのに…と悲しくなりましたがすぐに気持ちを切り替えなくてはならず、駒沢の書類をそろえました。私にとって受験で一番大変だったのは、勉強ではなく書類をそろえたりすることだったと思います。日大の書類揃えも、志望書も無駄に終わりましたが、落ち込む暇もなく疲れ果てました。駒沢の試験日は雨も降って憂鬱で、過去問もろくに解かずに試験に臨んでしまいました。過去問を見たときに駒沢入試英語は名古屋よりも難しいと思いました。先生はそうは言わないと思いますが、自分は名古屋より駒沢の方が問題はむずかしいと思います(競争率や、受験者層のレベルは別として)。駒沢は過去問とは違った傾向で英語が出題され、中央対策のために、並べ替えや文法問題を練習してきた自分は長文以外よくできました。和訳問題のある長文は全くできなかったです。経営学は授業で習ったような知識問題は出ず、その場で考える図表の読み取りだったので、適当に思ったように書きました。英語は和訳や長文の配点が大きいと思っていたので長文が全然だめだった自分は合格できないと思い込みました。先生のアドバイスを受け、自分が行きたいと思わない学校でも滑り止めを一つとめとくと本命のとき気楽だということと練習を兼ねて受けたのに、逆に自信を失ったらどうしようと思い10月はすっかり涙モードでした。受からないと思ったので駒沢は結果さえみませんでした。後で、大きな封筒で合格通知が届き合格を知りました。意外だなと思いつつ、良かったなと思いましたが、編入を決意した当初から思いのあるMARCH以上を目標にしていたので、中央に集中しようと思っていましたし、あまり喜びませんでした。(ちなみに駒沢は入学金25万くらい?をすぐに払わないと合格が取り消されます。)

 11月になり、中央大経済の試験が近づきました。中央経済に受かれば、もう終わりにするつもりでいたので、色々な思いが頭を過りました。今まで長かったなあと大学受験のことまで思い出しました。現役のときは直前の科目チェンジをしたのに補欠になることができて、期待と共に待たされたあげく不合格になり、あまりの落差のある結果に終わってしまったので、自分でも信じられませんでした。ここ補欠でここに進学するとかあり得ないでしょとか当時は思っていたけれど、結局は、今の在籍校に合ってたから引き寄せられたんだろうなとも思うようになっていました。在籍校は割と楽な学校だったので編入するには適していたとのかもしれないと思いました。そして、いつも自分の部屋のように学校の空き教室で勉強していたので、ひとりで勉強できる環境を提供してくれてありがたかったなあとか、他にも本当に色々なことを考えていました。精神的にも悲観的になっていなかったし、完全に受かる気で今までの受験生活のいろいろなことを思い出していました。普通に終わると思っていました。そのときは精神的におろおろとして、今までやってきたことも出せずに負けてしまった去年の大学受験のときとは違うものを感じていました。そして、安定した気持ちで中大経済の試験を終わらせました。それからは、張りつづけていた気が一気に緩み一週間が過ぎました。先生たちに受験終了後話しても、「まあ大丈夫でしょ」ということだったし、自分も完全にそう思っていました。ネットで合否を見たらもちろん合格!!!!!!ではなく、なんと不合格でした。本当に信じられませんでした。愕然としてしまいました。経済に落ちたら受けるつもりだった中央商学部のテストは明後日に迫っていました。もう無理だなと思いました。完全に受かって受験は終わると思っていたのに、落ちてしまったので、今更どう立て直すの?って感じでした。中央の経済で受かれば、その場で長い長い受験生活終了だったのですがそうはいきませんでした。中央商には面接もあり、結果が出るのもずっと先だったので、結果が出るまで受験は続きます。富山大学も受けなくてはならなくなりました。寒くて遠い富山まで行かなくてはならなくなってしまいました(しかも富山も面接あり)。もう疲れて、面倒だなというのが率直な感想でした。あまりにも、愕然としてしまい、寝込んでしまいました。翌日も気分が切り替わらずに、夕方まで落ち込みつづけていました。今更戦闘モードになんか戻れないと思ったし、先生方には、本当に泣き言ばかり言ってしまいました。

 かなり遅い立ち直りでしたが、過去問をみて、傾向を把握し次の日の試験におろおろした気で臨んでしまいました。英語のとき集中力を失ってしまい、不安にかられてしまいました。でも、できることはやって終了しました。英語はやりきっていないけれど、まあまあ(一般入試では絶対こんな出来ではうからないと思います)。中大を去るときはもう、ここには二度と戻って来ないんだなと思い込んで帰りました。変な期待をして裏切られるのはもう嫌でした。

 その後、先生と面談があり、中大の経済がだめだった理由をきかれました。先生曰く2題選択だった小論文の問題で、授業で少しでも触れた、iPS細胞について書かなかったからだそうです。iPS細胞について授業で大きく取り上げた訳ではなかったし、一瞬出てきただけだったのでそこから文章を広げて長く書くことができないと判断したので、自分も色々と考えを持っていた、教育というテーマを選択してテストで書いていました。それが不合格の原因だそうです。自分にはそんなの判断できないよと思ってしまいましたが、「授業で少しでもあつかった題材なら、そこから広げて書けるように勉強してって言ったはず」「全然習ってない自分の考えしか書かなかったら独学の人と同じになっちゃう」と言われ納得しました。その後富山に向けての勉強&面接対策&中大の面接対策と練習を重ねました。自分はどうやら試験よりは面接の方がマシなようです(笑)。

 中大商学部の結果は自分からネットを見ないようにしていました。自分から見ると落ちることが多いから意識しないようにしていました。学校に行こうとしたとき、郵便物を母が受け取りました。中大商学部の合否でした。届いたのは、入学の手続き書類や合格証明書が入った大きな封筒ではなく、結果一枚入った小さい封筒でした。やはりだめだったか…。そのときは、心から崩れ落ちてしまいました。母も雰囲気を察したのか部屋から引き上げて行ってしまいました。あーあ、やはりだめだったなあ…と思いました。一応中を開けたら、地図が入っていました。???これは、面接のご案内…。そうでした。筆記合格とかいてあり、本当に、もうため息が出ました。なんだぁぁぁぁ。良かったぁぁ。ほんとに、ほっとしました。後になって思えば、そのまま捨てなくて本当に良かった。まだ、面接もあるので、気を抜かないようにと思いました。

 そして、富山大学入試の前日、飛行機で富山に飛びました。寒かったです。試験は緊張しすぎて、最初、どうしよう…って感じになってしまい焦りました。英語は最初、何を読んでるのか全くわかりませんでした(ちなみに富山は英語と専門同時です。試験時間も変わっているので受験票で確認した方がいいですね)。ひたすら、やってきたことを発揮すべく、今までと同じように解くことを心がけました。ようやく、解くことに集中できるようになり試験時間は30分を余らせて解き終わり、何度も見直しもしました。それでも時間はあまりました。問題が簡単で本当に良かったです。国立目指している人は富山は割と入りやすいかもしれません(年によっても違うと思いますが)。あと、富山は、同じ日に推薦入試も行われているため、保護者控え室があります。試験会場が開くまで受験生は外で待たされていたらしいですが、私は保護者控え室を偶然見つけたので、寒い思いをしなくてすみました(笑)。

 富山から帰宅後、三日後くらいに、中大商の面接、これは年によっては圧迫の年もあるらしいです。自分は圧迫でも耐えられると思っていました(笑)。自信はありましたが、予想通り面接は圧迫ではなく、和やかに終了し、一週間、気は抜けていたものの、法政にむけて勉強しないといけないと思っていました。結果発表の日は自分からネットを見ると受からない気がしたので中央商の結果は、郵便を待つことにしました。しかし、なかなかこない。学校に行く時間は迫っていきました。今後、法政(面接あり)を受けるためにも早く確認しないといけないし、落ちる理由も特にありませんでした。でも、これで、5年間にわたる大学受験準備期間が終わるか否かの運命の瞬間…とか思うと本当に緊張してしまい、開くに開けませんでした。迷っているうちに学校に行く時間も迫り、本気でどうしよう…と思いました。自分からネットを開くといつも不合格な気がして、開くことによって不合格になってしまいそうな気さえしていました。仮に、もし不合格なら法政に向けて立ち直れるのか、その覚悟はあるのかと考えたら、絶対に立ち直れないと思いました。ダメージに備えての心の準備もできていないのに、結果を見るなんて30秒後の自分に無責任な気もしていました。こんなことぐらいですが、本気でばくばくでした。学校に行く時間にもなってしまい、不合格のときは法政の下調べや面接対策もしなくてはいけないし、勉強もつづけなくてはならない訳だし、という訳で開いたら、ちゃんと合格していました。本当に良かったです。中央商学部は本当にメンヘラのまま受けに行ったけれども、受験放棄しなくて本当に良かったなあと思いました。最終的に、合格し受験を終えたときは、ほっとしたという感じで、もう何もやりたくないと思いました。だから、その後今までの3ヶ月本当に何もしませんでした。

 編入を終えて本当に、家族とか塾の先生とかいろんな人にお世話になってしまったなあと思いました。絶対に自分一人ではできなかったと思います。中ゼミの先生や家族には助けてもらいっぱなしでした。

 受かる保証もなく受験生活を長引かせて長い間ずっと心配させ続けてしまったのに、文句一つ言わずに生活面でも金銭面でも応援し続けてくれた両親にはもちろん感謝しています。受験のことは友人には言っていなかったのに、誘いを断り続けても未だに仲良くしてくれる友達にも感謝しているし、空き教室を一人で使わせてもらった在籍校の環境にも感謝しています。

 そして、中ゼミの先生方。

 メンタル的にもサポートしてくださり、いつも丁寧に小論文のコメントを書いてくださった遠山先生には本当にお世話になりっぱなしでした。

 いつも突然電話しても、丁寧に対応してくださり、面接対策もしてくださった本多先生。

 英語の先生方には直接お礼を言えなかったけれど、いつも熱心に授業をしてくださり、基礎から英語を教えてくださった千頭和先生

 忙しい中、中大経済と商学部の過去問の解答を作ってくださり、やるべきことを明確に指示してくださった山崎先生、本当に助かりました。

 忙しい中、駒沢、名古屋などの過去問を見てくださり、突然行ってもとても親切に教えてくださった英語の鈴木珠子先生、御陰様で駒沢、富山、中央商に合格できました。

 最初の方しか履修してないし自分のこと覚えてないかもしれないけれど、読みにくい字を読んで丁寧にコメントをくれた小論文の高橋先生。

 法政の出願方法を間違えてどうすべきかわからなくなって突然中ゼミに電話したにも関わらず、メンブレした私に何をすべきか的確に指示してくださった宍戸先生。

 本当にありがとうございました。

 最後にこれから編入を目指す皆さんへ。

 この一年間いろいろ大変だったし、絶対合格は無理だなと思うことも何度もありましたが、編入をやめるという考えが全くなかったので、ダメだめながらも続けていたら、受かりました。正直な話、5月から通っているのに、マクロミクロも一学期分しか終わってないし、英語の問題集も、指示されていた即ゼミの2冊目も、終わってないし、全然言われたことをやりきっていませんでした。それでも、やれる限りは目一杯やってきたのでできたのかなと思います。こんなこと言ったら、いけないのかもしれないけれど、編入試をいくつも受けてみて、中ゼミでは、編入にしてはやりすぎってくらい勉強させてもらえたと思います。先生も言っていたけれど、中ゼミで頑張っていれば、編入は絶対どこかしらは受かるようです。絶対に、甘く見てはいけないし、先生の言うことはきちんと聞いてください(自分が言えることじゃないけど)。ただ、自分が言いたかったのは、中ゼミでやれって言われたことをやりきれなくなってしまったりしても、やめるということをしないでくださいということです。私は全然やりきっていないので、もうダメだと思ってやめていってしまった人がもったいないなぁと思っているので。ぜひ、先生に相談してください。自分が「試験までにはマクロミクロ全然終わりません」と先生に言ったときは自分の受験校に合わせて不必要と思われるところを削ってくださったし、相談して本当に良かったと思いました。他にも、心配なことは何でも言っていましたが、メンタル的にもサポートして下さり、的確な答えをくれたりと本当に助かりました。夏明けや10月まで頑張ってきても、やめてしまう人もいるようです。自分もその時期が一番辛かったし嫌になってしまうことが多かったので、その時期まできたのにやめる気はよくわかるし、もう受からないと思ったことも何度もありました。中ゼミの勉強範囲が終わらなかったりしたのでそう思ったのですが、(ホントにこんなこと言っていいのか分からないけど)中ゼミではやりすぎなくらい勉強させてもらっているので、ダメだと思ってしまってもできなくても途中でやめずに続けてください。そして、是非、高望みしてください。読みにくい文章ですが、自分の後悔なども参考にして頂ければと思います。

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