僕の軌跡

 今の正直な自分の思いを書きたいと思う。参考になる部分があれば幸いである。多額の資金を投資し、莫大な時間を費やし、必ずしも結果が現れるわけではない編入学試験に、複数合格出来たことは本当に嬉しかった。僕が編入学を志した理由は様々だが、簡単に紹介させてほしい。大学受験の時、自分の方向性が定まっておらず、理系から文系に変更したりと、かなりの遅れをとり受験した。勉強はしていたが、志望校の水準には程遠かった。その頃の僕は、行った先の大学で自分を磨いて高めようと思っていた。ところが、いざ入学してみると周りの雰囲気が高校時代と異なり、学問に対する意識の差を感じることになった。また、僕は東大をはじめとする優秀な奴らと同じ寮で生活していたので、そいつらとの会話の方が知的でエキサイティングだった。正直、学歴を求め、編入したい気持はあったが、勉強していくうちに、自分の今までの努力に見合った環境に行きたいという気持ちの方が強くなっていった。そうすると自然と勉強することが楽しくなり、成果が点数となって表れてきた。最終的に自分に見合った大学名がついてきたという表現が正しいのだろうか。学歴なんて、その人をみる時の一種の指標であって、全てではない。寮の周りの生徒を見ても思うが、確かに偏差値では一流かもしれないが、性格や人間性を総合的に見た場合、全然一流とは言えない人が多いのを感じる。また、大学受験にたまたま成功し、それを周りに見せびらかしたり、人生勝ち組だと錯覚を起こしている人を見ると、残念だなと感じる。別に他人は他人で関係ないが、ただ、彼らと生活したり、自分の行っている大学の学生と比べて、上の大学に行けば行くほど偏差値の高い学生で真面目で文武両道、性格の良い素晴らしい人が多くなると思うことが多かった。そのように考え、大学の教授にも複数人相談したところ、そりゃそうだと言ってくれ、自分が編入学試験を受験することに背中を押してくれた。確かに、学歴ロンダリングと言われればそれまでだが、そのようなことを言う人は、自分が実際高みを目指そうと思ったが結果がついてこなかった人や、他人の成功を快く思わない人が多いような気がする。だけども、成功している一流の人達は、温かく見守ってくれるだけでなく、よく頑張ったと褒めてくれる人もいた。どちらにせよ、誰に何を言われようとも、他でもない自分の人生なので、好きにしたら良いと思う。
 合格した身としては、大学4年間のうち、2年間を勉強に専念したという自負はあるが、東大や京大でも編入は編入にすぎず、本来ならば最初からそこに進学していた時と比べ2年間、別の勉強をしてきたわけである。これを無駄にするか有効なものにするかは、自分たち次第だが、あくまでも、ようやくスタートラインに立てたわけであり、本来やるべき事や、就活が近づいてきていることも考慮すると、なかなかハードな日々が続きそうである。それと、自分に言い聞かせているのが、あくまでも受験勉強は短期的なエンジンにすぎず、これから社会に出ると、受験のような間は用意されていない。早くこの頭の使い方を変えないと、いつまでも過去の栄光にしがみついている、イタイ奴になってしまうと…。
 最後に自分の思いを勝手に書いたが、勉強は自分の為にすることであって、やめたければいつでもやめていいと本気で思っている。ただ、成功している人達は、あるか無いかと言う幸せを必死で追い求め、歯をくいしばって、泥臭く走り続けているように感じる。せっかく編入と言う機会を与えてもらったのだから、最後まで頑張ってみるのもいいかもしれないな。Good Luck!

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