がむしゃらに

私は第一志望の同志社大学文学部英文学科に合格することができた。今は合格の喜びにひたっており、4月からの新しい大学生活をとても楽しみにして過ごしている。以下に私の編入試験体験記を正直な気持ちで書きたいと思う。
私の高校は地元では御三家といわれる進学校のひとつで、高校1年のころからかなり勉強に力を入れている学校だった。高校に入るときは必死で勉強した。今から考えると、その高校に入れただけで高校生活は本当の努力もせずに満足していたのかもしれない。
入学してみると最初のころは学年で真ん中ぐらいの成績をキープできたが、しだいに自分の成績は学年で下から数えた方がはやいという状況になっていった。中学校まではトップの成績だったのに、高校で落ちこぼれた私は自分に対する自信を失っていった。しかしそんな状況でも、私は高校1年のころからまじめに毎日勉強して、大学受験のこともしっかり考えていた。ものすごい授業のスピードと課題についていくのに必死で、毎日息が詰まるような高校生活だったように思う。高校2年までは大学受験に対するモチベーションは高く、英語だけはしっかりと勉強していて学年でも成績もよかった。   そして大学は英語で有名な津田塾と青山に行くことを目標にした。しかし大事な高校3年になってから、勉強に嫌気がさしはじめた。1,2年でがんばりすぎたのか、現実逃避をするようになったのだ。
結局受験勉強を本気でがんばることもできず、得意の英語の成績はがた落ちし、不完全燃焼で私の大学受験は失敗した。もう受験勉強はしたくなかったので、浪人もせず、今の大学に入学を決めた。高校の友達はみんな旧帝大、有名私立に行った。難関大学に行けなかった自分が嫌だったが、「本気でがんばらなかったから仕方ない。この大学でがんばろう」と思って大学生活がスタートした。すぐ友達もできて、大学生活は楽しいものだった。
しかしいつも受験に失敗した悔しさがあった。今の大学に対する不満も感じていた。今の大学の横に同志社大学があるからなおさらだった。編入は入学当時から少し考えていたが、本気ではなく勉強もしていなかった。そうこうしているうちに大学1回生は終わり、春休みになった。3月の終わりに自分の今後について考えているときに、浪人していた友達から数々の合格を聞いた。みんな難関大学に合格していた。自分はどうなのか?と考えた。「みんなものすごく努力して頑張って合格したんだ!私は頑張らなかった。今の自分に後悔している。人生で1度本気で頑張ってみたい!」そして編入することを決意した。
まず様々な情報収集からとりかかった。編入予備校に入学することにした。関西の編入予備校に入学することにし、さらに中ゼミの通信添削も始めることにした。バイトでためたお金で学費を払った。本気でやるしかないと思った。バイトはきっちりやめて、受験勉強に集中することにした。切り替えがよかったと思う。4月から勉強をスタートした。単語力がないと自分でわかっていたので、毎日単語の勉強にかなり時間を充てた。英文学科志望なので、英語が命なので英語はがむしゃらに勉強した。中ゼミに様々な大学の過去問を請求し、しっかり時間をかけて取り組んだ。予備校は基本、しっかりやって当たり前と考えていたので、それ以外にも多くの様々な英文を読んで力をつけた。夏休みは毎日10時間以上勉強した。絶対に合格したかったし、後悔はしたくなかったからだ。ストレスを感じたら、友達と食事に行ったり、買い物に行って気分転換をした。息抜きはがんばるために大切だと思う。とにかく毎日毎日英語を猛勉強した。
そして、1番最初に迎えた立命館の試験に合格!次に大阪市立も合格し、最後の第一志望の同志社も合格できた。こうして、受験大学は全て合格したのだ。同志社は試験、面接全てに手ごたえを感じ、試験を終えることができた。同志社の試験が終わった瞬間から、8か月間本気で頑張ってよかったと思った。合格通知が家に届いたときは嬉しくて嬉しくて涙があふれた。今まで生きてきて努力が初めて報われた気がした。
編入を通じて、努力することの大切さを忘れず、同志社でも勉強をしっかりやっていくつもりだ。夢をかなえるために必死で走っていこうと思う。

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