過去問をひたすら解いた

私は、大学1年の頃から、今の大学を卒業したくないという気持ちでいっぱいだった。地方のそれなりの進学校を卒業したのに、自分の行きたかった大学よりもずっと下の大学に通うことになってしまった自分が嫌だった。そのことから私は、1年次は仮面浪人をして、一般受験で現役時に行きたかった私立大学にチャレンジした。結果は不合格であった。私の仮面浪人を応援してくれていた家族にも、「今の大学で頑張ればいい。」と言われ、しぶしぶ私は小学校の教員になるべく、教員採用試験の勉強をはじめた。

しかし、どんなに頑張ろうと思っても、どうもやる気が出なかった。やりたくないことをやろうとしたってそれは無理なことである。このまま教員になったとしても、こんな私が子どもによい教育などできるわけがない。やはり本当に行きたい分野、大学にいくべきではないだろうか。そう思っていた矢先、私は編入学という制度を知った。さっそく関連する本を書店で探したところ、中ゼミの『まるわかり!大学編入』という本を見つけた。読み進めてみると、巻末に中ゼミに通って大学編入を成し遂げた方たちの体験記が載っていた。現役、仮面浪人を独学で勉強して失敗していた私は、今度こそ合格するために中ゼミに通って編入学試験を受けることを決意した。

大学2年の時は、中ゼミに通うための学費を稼ぐために、アルバイトを行った。大学3年の4月になり、中ゼミの講座が始まった。私は総合科生であったので、英語や小論文の講座をまんべんなく受けることにした。千頭和先生の英語は、それまで私が考えていた英語のやり方を大きく変えるものであった。中2の問題集からやり始めた私は、最初は半信半疑であった。それでも、もう失敗したくないという思いから勉強をした。「すぐに学力は上がらない」と言う先生の言葉はまったくその通りで、点数が目に見えて上がったのは秋になってからだった。その時には最初は30点台や40点台だった点数が、100点を超える時もあった。小論文については、一番はじめの評価は最低のE判定であった。いまい小論文を書こうとして、全く書くことができなかったので、私は小論文のお手本を真似することからはじめた。それと同時に、社会学の知識をつけるために社会学の本を読んだり、大学の先生にも分からない用語を教えてもらった。夏の前には、小論文の評価はAとBの間になるようになった。

私の最初の受験は群馬大学であった。7月の受験であったが、英語も専門分野も準備不足のまま受けた。結果は案の定不合格となった。予想はしていたが苦しかったので、次の高崎経済大学は準備を完璧にして受けることを決めた。しかし、その高崎経済大学は不合格となった。理由は面接であった。いわゆる圧迫面接であったのかもしれないが、「公務員になれると思っているのか」という問いには何も言い返すことができなかった。

それから約1ヶ月後、私は山形大学を受験した。この大学は、小論文の配点が英語の倍であった。当日、私は、小論文をいつもよりもスラスラ書くことができた。加えて面接もとても穏やかな雰囲気であったので、自分の考えを述べることができた。結果が出るまでには1ヶ月弱かかったが、自分の番号がのっていた時には、何度も見返してしまった。大学の先生も喜んでくれた。正直、筑波大学に受かった時よりも嬉しかった。筑波大学の受験までは、切羽つまらず勉強することができた。筑波大学は英語が難しいので、過去問をひたすら解いた。また、社会学の本も何度か読み直した。試験当日は、勉強の甲斐あってか、英語は8割以上解くことができた。その一方で、小論文はあまりよくできなかった。絶対に落ちたと思っていたので、合格したときは嬉しいというよりも驚きでいっぱいだった。この体験記を書いている今も、信じられない気持ちである。編入試験は、簡単なものではなかったと私は思う。しかし、あきらめなければ、どんな大学でも合格は可能であると私は考える。最後に、中ゼミの先生方や事務の方、そして一緒に頑張った友人達のおかげで私は合格することができました。ありがとうございました。

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