合格までの道のり

私が編入を考えるようになったのは、大学一年の頃である。高校時代から大学では日本史を勉強したいと思っていたので、史学科のある大学を受けようと思っていた。しかしセンター試験の失敗から受験先は地元の教育学部。私の受験は不完全燃焼に終った。それでも、せっかく入学した大学だから、と割り切って通っていた。友達と遊んだり、宅飲みしたり、旅行へ行ったりと楽しい大学生活は送れた。しかし、大学で教職に関する講義を受けたり、先輩の教育実習体験談を聞いていくうちに、私が大学で本当に学びたいことは、教師になるために必要な知識や技術ではなく、日本史なんだなと、あらためて気づいた。現在の大学では3年次から各研究室に入ることになっており、日本史研もあるため、そこに所属し日本史を研究しようとも考えたが、他大学文学部史学科のシラバスと比較してみても専門科目の講義が明らかに不足している。そこで、私は思いきって編入試験を受けてみようと思った。けれども私の周囲に編入を考えている人はおらず、情報もあまりなく困っていた。そのような中、インターネット検索でヒットしたのが中央ゼミナールであった。
中ゼミの合格実績などを見て、私もここで頑張ってみたいと思ったが、地方の大学に通っているので東京の高円寺まで頻繁に通うことは難しかった。そこで、通信添削で地元にいながら勉強を始めた。私は早い段階から編入を志したため、それだけ早い時期から勉強に取り組めた。高校時代から不得意だった英語を中心に勉強を進めていった。2年間、ほどほどに遊びつつ、勉強をしていたのだが、時々心が折れそうになることがあった。そんな時は中ゼミでもらった先輩方の合格体験記が心の支えとなってくれた。合格体験記を読むと合格された先輩の喜びが伝わってきて「私も志望大学に合格して合格体験記を書きたい。」と思うようになり、今まで以上に頑張れた。
私が受験した大学は、1次試験と2次試験があり、1次試験の筆記に合格しないと2次試験の面接に進むことができない。1次試験は英語の出来が合格を左右するという噂を聞き、精一杯問題を解いた。しかし、あまりに手ごたえをつかめなかったため、これは落ちたかもしれない、と密かに落ち込んでいた。合格発表は1週間後。私は一人で見れなかったため、友達に大学のパソコン室で一緒に見てもらった。自分の受験番号があった時は本当に嬉しくて泣いた。しかし、ここでうかれてはいけないと思い、早速2次試験のために動き出し、中ゼミに模擬面接を頼み、上京した。一応模擬面接の前に自分で練習して行ったが、面接練習の先生を前にすると頭が真っ白になった。けれども、中ゼミの先生にいろいろと指摘していただき、非常によかったと思っている。得るものは多かった。おかげで本番の面接では上手くいき、1次試験とは違い、十分な手ごたえをつかむことができた。1週間後の合格発表の時、自分の受験番号を見つけた時は長い戦いに勝利した気分であった。
最後に、私が第一志望大学に合格できたのは、中ゼミをはじめ、私の受験を応援してくれた友達や親のおかげである。感謝の気持ちでいっぱいである。

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