HI-FI MESSAGE

私が愛媛大学法文学部総合政策学科への編入学を決意したのは、大学1年次の1月のことでした。編入学を考えた理由は、一言で言ってしまえば「現在の環境に満足がいかなかったから」ということになりますが、詳しくは以下のようになります。
第一に、私は高校在学時から地域の観光資源を活かしたまちづくりに関心がり、将来は地元・徳島県の自治体職員となり、大好きな徳島にこのような観点から恩返しがしたいと考えていたこと、そしてこうした夢を実現させるためには愛媛大学での学びが最適だとし、入学を目指していたことがありました。それでは何故、現在の神奈川大学法学部自治行政学科へ進学したのか。これにも理由がありました。
私は中学生の時から陸上競技に取り組んで来ました。専門は長距離で、駅伝にもチームで励んで来ました。このこともあり、大学進学を考える時期を迎えた際には、今後の競技への方針も考慮することになりました。学業優先か競技を究めるか…。私が出した答えは「箱根駅伝への挑戦」でした。「一度しかない人生なのだから、陸上競技を通じて出会えた人たちへの恩がえしの気持ちを込めて、思い切って挑戦したみたい」という想いが最終的に私を動かしたのでした。この答えを出したのは高校3年の1月だったのですが、地方公務員を夢見る私にとって当時第4志望校であった神奈川大学は、幸いにも私のような「一般入試」による駅伝チームへの入部を認めて下さいました。勉学より競技に重きを置いての判断で、しかも入部に関してはまさに“特例”だったのです。神奈川大学法学部自治行政学科が日本初の地方公務員を目指す学生向けの専門学科であり、充実したカリキュラムがるということも入学を決意した大きな理由であり、進学後は文武両道を目指し懸命に励んで来ました。
ところが、実際に入部及び入学後の生活はと言うと、明らかに満足いくものではありませんでした。学習面においては、あまりの質の低さに非常に落胆しました。そこでは確かに公務員希望向けのカリキュラムが組まれていたものの、中身が薄く、どこか漠然とした内容のものばかりでした。また、私は将来、地元・徳島県での就職を希望しているため、徳島県のような地方都市と神奈川大学法学部が位置する神奈川県横浜市のような大都市とでは、自治体行政と言えども私の目指す先では全くと言っていい程かけ離れたものです。このため、地方行政が直面する問題に関するテーマの講義を受けていても、横浜市をはじめ関東を中心とした内容のものがほとんどであり、徳島のような地方都市を考える機会が極端に乏しかったということも、私の不満と将来に対する不安を募らせることになりました。最も、この事に関しては十分承知していましたが、入学後、「やはりこれではいけない」と感じたことの一つでした。自分のやりたい勉強は、やはり徳島のような地方都市で、現状を肌身を感じて学び、考え、将来へと繋げていきたいというものだと改めて感じました。こうした中で、本来の第一志望校である愛媛大学への想いが強くなっていったのでした。
競技面においても、思い描いていたものと大きくかけ離れていました。理不尽なことばかりの世界に戸惑い、故障からもなかなか抜け出せずにいました。人間関係に傷つき、苦しめられ、挫折を繰り返す毎日でした。それでも、支えてくれている徳島の人たちがいる以上、諦めてはいけないとの想いが自分の中に強くあったため、そんな境遇にも立ち向かい続けていきました。その一方で、この想いが逆に自分を締め付け、一層空回りさせるばかりとなりました。神奈川大学での競技生活に限界を感じるようになった私は、「もっと別の分野でみんなの力になりたい」と思うようになりました。マネージャー、学連、様々な考えを巡らしましたが、行き着いた先は編入学でした。高校時代から憧れていた第一志望校である愛媛大学で、もう一度頑張りたい。それには、時間的にも神奈川大学での学びも活かせる編入学をしよう。神奈川大学陸上競技部を退部したのは、大学1年次の12月16日。箱根駅伝本戦を直前に控えた、真冬の冷たい時期でした。
以上が編入学を決意するに至った大方の理由です。陸上競技部を退部したことには大きな悔しさがありますが、後悔はしていません。今日まで非常に多くの方たちとの出会いがあり、いつも誰かに支えられて来ました。今後は、こうした方たちに、また、この先出合っていくであろうたくさんの仲間たちに、感謝の気持ちを込めて恩返しして行きます。
最後になりましたが、中央ゼミナール・ステップアップサポート部の皆様、本当にありがとうございました

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