合格してさらに考えたこと

私が編入というものの存在を知ったのは、大学受験の勉強をしている時であった。一般後期の試験で横浜国立大学を受験するため、ホームページから学校情報を得るためアクセスをした際、トップページに大きく3年次編入試験についてと書かれていた。自分はそのときに初めて大学に編入試験というものが存在することを知ったと同時に、なぜだか強く印象に残った。
結局、一般受験は第五志望の大学にしか合格できず、都内の私立大学の法学部に進学した。私は文系ながら、数学が得意だった一方、文系科目が得意ではなく、かつ得意不得意がそのまま科目の好き嫌いに顕れていたため、進学も少々躊躇した。しかし、入ろうとした学部は「一応」経済の視点も取り入れながら法律を学び、国際的な企業間の法関係を学べると銘打っていたので、少なくとも何も決まっていない自分の進路を切り開くのに役に立つと思い、結局進学。
だが、進学したものの、学科のカリキュラムはガチガチに固定され、教養科目すらまともに選択できない。さらに、法律科目すら、完全に「法曹」の人間を作るためのもの。資格を意識し過ぎていた。加えて、私を編入と言うものに向かわせたのは、自分の通っていた高校である。都内ではそこそこ偏差値が高く、友人が国立大学へ多く進学する中、彼らの話を聞き、国立の学問に対する自由さ、学部間の垣根の無さにものすごく憧れた。
彼らは非常に羨ましかった。同じ法学部なのに数学を履修できたり、勉強したいことが本当に何でもできる。対して自分の大学は文系と理系でキャンパスが距離的に恐ろしく離れており、おいそれと向かうことはできない。数学の授業だって受けてみたいし、その他のことも勉強してみたかった。その時に思い出したのは横浜国立大学の編入のことだった。
このように、編入に対しては、最初は完全に消極的かつコンプレックスの塊でワガママな理由で志した。
中ゼミには1年次はあくまでモチベーションの維持と、英語の学力の維持のために在籍するつもりで入塾。四月のことだった。結局大学も少し遠かったので、無理を言って通信にしてもらった。そして驚いたのは中ゼミの持つ情報量だ。送られてきた資料に片っ端から目を通し、気になった大学はインターネットで調べてみた。そんな時に、国立大学文系で2年次編入をしている大学が見つかり、かつ、それが法学部であった。しかも試験科目が英語と小論文のみ。アルバイトをしながら受験資金と入学金を貯めていたのだが、実力試しに受けてみようということで目指すことにした。
単科コースで英語と小論文を受講した。通学ではないのでフルサポートは受けられない。かつ、時間も無い。そこで私は少しばかり我流で勉強してみようと思った。これは自分でも賭けのような感じだったのと、「偶然私には合った勉強法だった」というだけで、合格体験記に書いていいのか正直不安だが、体験記なので自由に書いてみる。
まず、英語は法学関係の過去問に自分なりに目を通した。北大は和訳が中心だったので、中ゼミの推薦参考書にも名前のあった伊藤先生の英文和訳の問題集を丁寧に3周繰り返すくらいに勉強した。細かい文法と構文は、出てくる度に「わからなかった」ものや「今は分かったが偶然かもしれない。少しあやふやだ」といったものは『英文法解説』やらの文法書や、構文の本で確認し、なるべく文章ごと覚えるようにした。毎日読む読み物的な、問題集ではないが、英語の読み方的な、割と歯ごたえのある長文はなるべく毎日読むようにした。蛍光ペンで英文を染め、色ペンでぐちゃぐちゃに文法の関連やらを書き込み、毎日音読した。これの進みは遅かったが、着実に力になっていったのがわかった。
自分の中である程度勉強が進むと、中ゼミの添削に手を出し、実際の本番のテストと同じように時間を計り、解き、見直しの段階では消しゴムはなるべく使わず、二重線で消して上に書くようにした。ケアレスミスを含め、自分がどういったところでつまずくのかを見るためだ。そして最後に辞書を引いて読み、分からなかった単語や文法を別紙に書き、大学で持ち歩いた。
そして添削が返ってきてからが一番の勉強だった。自分では知っていて分かっていたつもりでも、第三者の人、先生方からみたら完全に不正解の文章だったり誤訳だったリする。それは単語にしろ文法にしろ、キチンと分かっていないということである。正直、あまり添削は進まなかったが、一つ一つにかけた復習の時間は、英語の勉強をトータルしても大きなウェイトを占めた。当然の如くマーカーで染めまくり、念仏の如く音読。初めて読む英語の文章でも、読むスピードはこれでかなりついたと思う。ここまで書いて思うことは、英語は別段、特別な対策をしたわけではなく、愚直に勉強した感はある。ただ、その中で添削という最重要の部分を中ゼミがサポートしてくれたことは非常に大きかった。
次に、小論文である。私はとにかく文章が下手糞で、かつ何も考えないで書いているのがにじみ出てしまう。要するに知識が無いということが、中ゼミの先生方との相談でわかった。ならばとりあえずは知識だ、と大学受験用の社会科学系のネタ本みたいなものを買ってみた。が、これがよかった。かなり多岐に渡る話題が社会科学の視点から切り込まれ、先生の個人的な意見(一部偏りあり)が含まれており、論文の例と模範解答も載っていた。
時間も無いので、まず、暗記事項(基本的な政経や現代社会の知識)はとにかく暗記した。その後に先生の書いた模範論文を自分で主旨が組み立てられる位まで読んで覚えた。ただ、その先生の意見を鵜呑みにするのではなく、後に別の小論文の参考書の模範論文と加え、小論文の先生達はどういったところから課題文に批判や同意を与えているのか、その解決策の提示を見るためだ。結局、そういったものは根本的な基礎知識から生まれるものだということがわかり、大学受験用の参考書でとにかく知識をつけた。
しかし、実際、中ゼミで薦められて取ったものは、北大は課題文型だからという理由で「人文系小論文」だった。筆不精な僕は、人文の内容もさることながら、「なんか違うな…」と勝手に判断して1講のみしか送らなかった。結局そんなことをしてしまったものだから、自分で過去問を解析するしかなくなってしまった。とりあえず中ゼミから北大の過去問のコピーをもらい、傾向を見てみる。すると本当に社会科学の基本から出ていたので、もしやと思い、ロースクールの未修者コースの小論文の問題を見てみた。学部の先生がローで教えていることも多いので、こっちの方が対策になるかもしれないと勝手に判断し、その参考書も使い、勉強した。すると、北大に限ったことなのかもしれないが、ロースクールで出たテーマがそのまま後に編入の問題になっているような感じがするものもがいくつか出てきた。ヤマを張った感じは否めないが、実際これが大当たり。当然の事ながら、どのテーマが出てもいいように武装はしたが、怪しいと思う範囲は徹底的に調べたり、模範論文で先生方が基本的にどういう問題点を指摘して、その解決策を出しているのかをみてみた。
結局、得点開示をしてみると英語が大体4割、小論文が7割と、英語小論で当初取ろうと思っていた点数が綺麗に逆になる形となってしまっていたが、なんとか合格。多分合格者の中でもギリギリだったと思う。ただ、小論は本当に、時間が無く、メモも作る暇が無かった。ヤマが外れていたら落ちていたかもしれない。先生にしっかりと採点してもらわないと伸びる科目ではないのだと改めて痛感した。とにかく、編入で大切なのは情報だと思った。幸い、中ゼミには本当にたくさんの資料があり、僕もわからないことはすぐに中ゼミに聞いた。自分に足りないものを明確化し、しっかりと勉強し、自分がどうかは別として、大学の教授が欲しいと思う人材にならなければいけないものだと感じた。
また、本当に役に立ったのは志望理由書の添削である。自分の作った稚拙な文章から「少しでも何か引き出せるもの、書けるものはないか」と、立派な文章へ推敲の道しるべを示してくれた。指導してくださった龍崎先生には本当に感謝しています。
私は少なくとも今の大学のカリキュラムからすぐにでも抜け出せるならということで、北大には進学しようと思う。ただ、合格した後で、本当にそこでいいのか、やりたい勉強はできるのか、そして「何をしに大学へ行くのか」をよく考えた。その結果、私はまた再び中ゼミに席を置き、3年次編入で理系の学部、特に理学部を目指してみようとおもっている。もちろん、北大では他学部履修で解析をはじめ線形代数、微分積分などの授業が履修できるので、そういったもので様子を見つつ、自分の行く道を慎重に決めて行きたい。
編入が無ければ、私は恐らく一生自分がいた大学に不満をこぼし、どこかに就職しても文句ばかり言うようなつまらない人間になっていたかもしれない。大学の意味、自分の道、トータルで相談に乗ってくださった中ゼミの先生方のお力が無ければ、合格は無かったと思う。通信生ということで孤独や不安は多かったが、大学の空き時間を使ったり、大教室での講義で内職をしたりと、勉強時間はいくらでも見つければ私はあった。2年次編入ということで気持ちに余裕があったとはいえ、豊富な情報で不安を一つずつ解決してくれた中ゼミには本当に感謝している。
ありがとう。中央ゼミナール。 

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