編入試験は、やり直しがきかない子育てのようなものだ。

 私は22歳になってから他学への編入試験を決意し、無事千葉大学へ合格することができました。それまでは剣道選手になるために、前の大学で懸命に剣道へ打ち込んでいました。しかし、身体的な都合でその夢は挫折してしまいました。自分が十代後半だった頃を振り返ると、「あんな体に生まれていれば、今頃は夢が叶っていたのに。」と他人と自分を比較することが多かった。とはいえ、別の道に進んで長い人生を生きていかねばなりません。そこで進路を変更し、勉強し直して、子供の頃もう一つの夢だった脚本家及び役者の道に進むことにしました。役者も脚本家もこれからの時代は学歴や学力が必要とされる時代になるだろうと思います。そこで選択したのが千葉大学文学部でした。美術史や人間の歴史を学ぶことが間接的とはいえ脚本制作に繋げられると思ったためです。論文提出形式の受験でしたが、周りと比べて学力で劣ることは自覚していたために、論文作成と並行して勉強に取り組みました。この一年間の勉強は私の人生にとって、合格の結果以上に大きな財産になるだろうと思います。勉強の過程でお世話になった中央ゼミナールの方々には、厚くお礼申し上げます。
 さて、これから編入試験を受ける方々へ軽くメッセージを残したいと思います。勉強方法については、他の方々の体験記や中ゼミ資料室の方をご覧頂いた方がいいでしょう。私からは受験の心構え的な内容を提供いたします。
つい最近、出産を終えた姉から「子育てというのは嫌だからとか、飽きたからといってやめられるものじゃない。やり直しはきかないのよ。」という言葉をもらいました。まさかあの姉がこんなことを言うようになるとは思いもしませんでした。時の流れを感じた一言でした。この言葉を聞いた時、私は受験に当てはめたのは勿論のこと、同時に私は、叱ってくれる大人が既に私にはいないことも自覚したのでした。子育てと受験は別物だという意見もあると思いますが、私は育てる対象が子供か、自分かというだけの違いだけだと考えます。20代になりたての時は心がまだ子供気分だったために、こんなこと考えもしなかった。なんだか少し寂しい気持ちでしたが、同時に自分の人生に責任が持てるようになったこともあって充実感もありました。
 大人になると、他の人たちは赤の他人ですから、自分が辛いことから逃げても誰も止めない。そして自分は自分が逃げていることにすら気付かないこともある。むしろそれを肯定することもあります。つまり、私たちは嫌だから飽きたからといって、いつでも辛いことをやめられる環境にいつの間にかきてしまった。そして、編入試験は高校生の頃のように学校の先生や親など沢山の大人が助けてくれるわけではありません。出願も試験対策も全て自分がやらねばならない。だからこそ、今まで自分を支えてくれていた人たちが私たちのために何をやってくれていたのかが分かります。そんな中、中央ゼミナールの先生方はお金一つでサポートしてくださります。自分で情報を集めて、自分で勉強方法をみつけて、自分で準備をするのは当たり前で、お金は必要最低限のものです。だから、覚悟を決めて一段と昔とは違う環境であることを自覚し、自分の力で他力本願を捨てて編入試験に挑んだ方がよいでしょう。最後に、編入試験は高校3年の時に終わった大学受験のオマージュです。すなわち二度と帰ってこないはずだった過去に対してもう一度挑ませてもらえる貴重な試験だと思うのです。とても贅沢な経験だと思います。やり直しのきかない贅沢な最後のチャンスですから、これから試験を受ける方々は後悔の残らないように頑張って頂ければと思います。

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