孤独と苦しみにあえぎながら

 はじめに、私は元高専生である。生物化学系の学科に三年間在籍していた。そんな私が何故四年制大学の文系学部に編入学することになったのかというと、アラビアンナイト並みにながーいお話になる。ので、ところどころ端折ってお伝えする。
 いわゆる高専御三家の学生だった私は、あの独特かつハイレベルな講義に追いつけなかった。食らいつくため文字通り死に物狂いで勉強していたのに、全く、本当に、笑えるくらい成績が悪かった。発狂寸前になりながら日々勉強する、そういう生活を三年続けていたが、ある先生からちょっとした心ない言葉を浴びせられた時、あぁもうだめだ、と心が砕けてしまった。そして心がばらばらのまま休学届を出し、クラスの子にも何も告げず私は高専を去った。その年の夏には退学していた。
 その後は母親に尻を叩かれて何とか浪人生として塾に通わせてもらい、大学受験をし、実家から遠く離れた短大の国文学科に合格した。もともと本を読むことや文章を書くのが大好きだったこと、そして二度と微分法や無機化学の文字を見たくないということで文学科を選んだ。
 この選択が良かった。短大では息がしやすかった。どんな講義も刺激的でおもしろかった。みるみる精神が元気になっていくのを自分でも感じた。
 学んでも学んでも物足りない。二年は短すぎる。短大には四年制大学に編入するつもりで入っていたが、日を追うごとにもっと学びたい、とその意志が強くなった。
 一年の終わりになり、進路指導のまま過去問を見たり志望校を調べたりしていたが、短大でのサポートだけは元高専生でセンター試験も経験しておらず、普通の高校生が当たり前にしているような古文漢文の読み書きや現代文の読解といった基礎的な力が圧倒的に欠けている私には不十分だと考え、編入学向けの塾を探すようになった。
 そこで見つけたのが中央ゼミナールである。まず私は地方の田舎にいるため、通信サポートが充実しているという点が魅力的だった。とりあえず、と電話で入学相談をさせていただいた。丁寧で親切な相談が印象的で、勧誘なども一切なかった。直感でここがいいと感じすぐに入会の意を伝え、貯金を崩し晴れて通信サポート生となった。この時既に二年の夏であり、かなり遅い時期からの入会だったが、短大の単位もあらかた取り終わっており空きコマが多く、集中して試験勉強に取り掛かることができた。秋までは中央ゼミナールのワークと、基礎をつけるために短大でいただいた高校生向けの現代文の問題集をひたすらやり、同時に卒業論文の作成に取り掛かった。短大では残念ながらほとんど友人がおらず、また学寮での生活から家族と顔を合わせて話すということもないため、誰とも苦しみを分かち合えない孤独な戦いだった。通信サポート生ということで編入学を志す他の学生の存在も身近には感じられない。自分で自分の味方をし続けた。一日、講義以外では他人と喋らないということも頻繁に起きた。午前中は講義に出たり短大の課題をやり、午後は短大の食堂で毎日夜遅く追い出されるまで居残って卒論を書いたりワークをやるという生活が続き、孤独や不安でどうしようもなくなると、誰も私の人生に責任を持ってはくれない、と自分自身に言い聞かせて心を奮い立たせた。それに高専生の時の、あの発狂寸前みたいな日々に比べればずいぶんマシだと思いながら勉強した。
 秋からは志望理由書の添削と面接練習を短大の先生や中央ゼミナールの電話での模擬面接で行った。夏に滑り止めとして受験した国立大学に落ちていたので、後が無く、焦りと不安で眠れない日もあった。それでもやるしかないと歯を食いしばり、ひたすらワークを解き、ゼミの先生や母親や中央ゼミナールの方と面接練習をした。泣いてしゃっくりあげなら高専でテスト勉強をした時よりずっとマシだと思いながら、日々過ごした。
 そして学力試験当日、やれることはやった、これでだめなら仕方がない、と思いながら試験を受けた。試験終了ギリギリまでかかったが、後は野となれ山となれ、と清々しいような気持ちだった。そして一次試験合格者のページに自分の番号が載っているのを見て、嬉しさより驚きと戸惑いが先にやってきて、本当に自分が?と三回ほど受験番号を確認した。電話で母に伝えると、よくやった、と泣いて喜んでくれた。その声を聞いて、ようやく涙が出た。
 残る面接試験も、発狂しかけながら高専で学び、短大で自分が何をしたいのか見つけ、中央ゼミナールで実力をつけた私なのだから、きっと大丈夫、と自信を持って堂々と面接官の質問に答えることができた。面接官の一人から、あなたはとても良い学びをされてきていますね、とお褒めの言葉もいただけた。言いたいことは全て言えたので、結果がどうであれ私は満足だ、と感じながら面接会場を後にした。
 そして、冬。
 インターネット上に、私の番号とともに「おめでとうございます。合格です」の文字が並んでいるのを見て、スマホの画面を触る指先が寒さではなく喜びで震えた。その数日後、第一志望校の合格通知書を手に取った瞬間、なんだか胸がいっぱいになって、一人でぼろぼろ泣いてしまった。

 やっと、やっと、あの孤独な戦いが、辛かった高専生活が、私の努力が、報われた気がした。
 
 私の努力が実る結果になったのは、遠い実家から電話越しに最後まで背中を押してくれた母、ラインや電話でしょうもない話ばかり話してたくさん笑わせてくれた地元の友人、そして中央ゼミナールのワークや模擬面接をしてくださった先生方の力添えがあったからだ。どれか一つでも欠けていたら、私はこの受験体験記を書いてはいない。本当に感謝してもしきれない。
 最後にこの体験談が、編入しようと思っている人たちだけでなく、自分の進路や向き不向きに悩んでいる全国の高専生への助けになることを願っておく。決して平坦な道ではないが、高専から先の道は一つではない。一歩、外の世界へ踏みだす勇気があれば、孤独と苦しみにあえぎながらそこを歩いていく力があれば、どんなに険しいところでも道になるのだ、と私は思っている。

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