編入試験は私にとってメリットしかなかった

 現在編入試験を終えてゆっくりとこの体験記を書き進めているのだが、思えば編入試験はあっという間であった。合格したときは本当に嬉しかったし、心の底から安堵した。前日までの勉強の日々から解放されたような気持ちだった。今ではなぜだか、勉強の日々が遠い昔に感じるのである。喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこのことだろうか。長いようで短かった。第一志望校には合格しなかったものの、編入試験は私にとってメリットしかなかった。まずは、忍耐力がついた。周りが大学生活をエンジョイしている中で、一人黙々と勉強するのはどう考えてもきつい。しかし、これは慣れてくるものだ、とやってみて感じた。人間は順応性が高い生き物であるから、一度勉強体質に変わってしまうと案外淡々とこなせるもので、勉強が苦ではなくなるのだ。かく言う私も、大学受験の際にはあまり勉強に打ち込めなかった。もともと物事が長続きするタイプではないのだ。しかし今回の編入試験では、最後のチャンスであると決意して真剣に向き合ってみた結果、勉強とは今までのように毛嫌いするほどのものではないことに気がつけた。受験勉強は歯磨きと同じで習慣化である。この気づきは受験だからこそ、この先何か困難なことに直面した時にきっと役に立つものであると思う。
 他のメリットとしては、もちろん経済学の基礎がしっかりと身についたこと、そしてその知識は大学の授業でも大いに役立つものであった。純粋に経済学がもっと好きになった。私には経済学が肌に合っていると感じることができ、かなり知的好奇心を刺激された。しかし、一般的な受験勉強とは、必ずしも好きなことだけを勉強できるわけではない。そんな時でも、やはり先ほどの慣性の法則に従って積み重ねていけば、楽しいまでいかずとも楽になる瞬間が訪れる。学問に対して苦手意識がなくなると、もっと吸収してもっと成長できる。
 また、特に私のような大学受験が不完全燃焼で終わってしまった者にとっては、編入は間違いなく人生のターニングポイントとなるチャンスである。そして、これが受験というくくりの中ではラストチャンスである。この先も受験しようと思えば院試や社会人入試などあり、本当の意味でのラストチャンスではないが、「これが最後だ」と自分を追い込むことでかなり気合が入ったと我ながら思う。もちろん、一生懸命やったからといって結果がついてくるとは限らない。私自身、もっと対策を練ることができた部分はあったと思うし、改善の余地はあった。しかし、どういう試験問題が出題されるのかは、こと編入試験においては「運」に左右される部分も多い。去年と出題傾向が一変することもありうる。だが私はこの受験を通して感じたことがある。それは真剣に取り組んだ者には結果がどうであろうとおのずと道は開ける、ということだ。人事を尽くして天命を待つ。これは実に良い言葉であるが、私はこの言葉を逆に「人事を尽くした者にこそ天命が与えられる」と解釈している。まあ例外はあるかもしれないが、この心がけを忘れずに編入後の生活でも自分のできる範囲のことを着実にやっていきたいと思う。
 このように編入試験を経験して、単純に勉強だけではない様々な学びがあった。本当に妥協せずにやってきてよかったと思う。幸い、私の場合は編入を決めてからの受験生活もそれなりに充実していた方だった。もちろん、勉強の日々にうんざりもしていたのだろうが、そういう感情は受験が終了してしまえば案外消えてしまうものである。今は、辛かったことよりもやりきった感の方が大きい。ここで冒頭の話に帰着するのであるが、物事とは意外にそんなものである。必ず終わりが来る。受験はこれで終わりとなるが、この先もまた何かに挑戦したくなるかもしれない。そしてつまづきそうになったら、きっと編入のことを思い出すだろう。せっかく貴重な経験ができたのだから、この機を無駄にせずに邁進していきたい。
 最後に、ここまで真剣に取り組むことができたのは、中ゼミに入ったおかげであると思う。授業を受け持っていただいた先生方やサポートしてくださったすべての方にこの場を借りて感謝を述べたい。また、中央ゼミナールを見つけてくれた過去の自分にも感謝したい。受験を最後までやり抜いてくれてありがとう。そして何より、編入試験を受けたいと言い出した私を否定することなく応援してくれた家族にも感謝を伝えたい。私は本当に環境に恵まれていると心から感じた。今後編入試験を控える後輩のみなさまも各々の全力が出せますように。この体験記をもって、私の編入受験に終止符を打つことにする。この文章が何がしかのちょっとした参考になれば、本望である。

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