最後まで諦めなければ、大丈夫。

 私が編入を志した時期は、高校三年生の時であった。短大への合格が決まり、ホッとしていたところ、他の推薦入試やAO入試の人たちと話していて「どこの大学へ行くの?」という話題が上がった。私はそこで自分の通う予定の短大の名前を言うわけだが、もちろんみんな知るはずがない。そう、私の通う短大名は誰にも知られていないところであり、偏差値も40前後の決して頭の良い短大ではなかったのである。
 初めは勉強したくないから「短大でいいや」と思い、高校時代は全く勉強していなかった。初めから一般入試から逃げて、短大卒で就職すればよいと考えていた。しかし、現実は甘くなかった。短大卒の枠では応募できない企業も数多くある。そもそも、職種も高卒や専門卒と対して変わらない。待遇もあまり良いとは言えない。そして何より、「どこの大学通っているの?」と言う質問が怖くて怖くて仕方なくなってしまった。その質問がくると、その場が凍りついてしまうことは確かであった。
 短大のパンフレットに過去に、同志社大学の経済学部へ編入なさった先輩がいたことを知った。それを頼りに、短大に入った時点で編入学することを目標に勉学に励んだ。周りの人たちは遊ぶ時期であったけれど、私は遊ぶわけにはいかなかった。いや、短大生と言う立場で遊んでも全く楽しくなかった。
 インカレサークルというどこの大学の学生も参加して良い、学外のサークルに所属していたが、そこでも「どこの大学通ってるの?」という質問が多かった。その度に誰も知らない短大の名前を言ったところで、冷められて終わりだった。しかし、そんな私でもご縁があって東京理科大学に通う親友と出会うことができた。
 彼は、東大の院を目指し勉強を進めているという。そして、私は編入のために勉強を進めていた。そんな共通点から仲良くなれたのだと感じる。私は経済学部を志望していたが、高校時代に数学の学習をほとんどしていなかったため、数2はおろか、中学生の数学ですら危うかった。そのせいで、短大で編入経済学の授業を受けても、内容が全く理解できなかった。そんな中、彼は私のために、数学を教えてくれた。マックだろうと、ホテルのロビーだろうと、いろんなところで、中1の数学から。
 編入試験は一般受験や浪人と違い、短大生活を営みながら行わなくてはならない。浪人生は他人との関わりがなくても、黙々と学習を続けているだけで良い。しかし、短大生の場合はある程度の友人関係も必要になってしまう。本来ならば学習に充てられたはずの時間も、対人関係に費やさなくてはならないこともあり、非常に悩んだ。
 なぜ私は、浪人という選択肢を取らなかったのだろう。なぜ私は、こんな短大に来てしまったのだろう。
その悩みが私の頭に重くのしかかっていた。
 悩みながらも、ついに受験シーズンを迎えた。当初は京都大学を狙っていたが、私にそんな頭はなかったため、諦めた。次に、横浜国立大学を狙ったが、TOEICのスコアが及ばず、諦めた。これらを踏まえつつ、私は目標を定めた。
 近畿大学および日本大学は絶対に抑える。もし、同志社大学か関西学院大学に受かれば素晴らしい。この目標のもと、受験シーズンに突入した。近畿大学の問題は、基礎レベルであり、面接もいい意味で拍子抜けしてしまった。面接では志望動機が聞かれることは普通のことであると考える。しかし、趣味の話をされるとは考えておらず、受験後にかなり悩んだ。「あんなんでよかったのか?」と。しかし、近畿大学は無事に合格することができた。これにより、受験勉強は泣いても笑っても10月末で終わらせられると安堵した。
 同志社大学の問題は、はっきり言って歯が立たなかった。短大の先生曰く同志社は国公立並みのレベルだそうで、全く解けなかった。結果は当然不合格。それでも私は関西学院に望みをかけて、学習を続けた。
 次は日本大学の受験予定であったが、台風19号の影響により、関西学院大学の翌日へ振り返られてしまった。私はかなり残念な気持ちになった。なぜなら、関西学院大学の受験を以って、受験が終わる予定であったため、翌日に姫路へ旅行へ行こうと考えていたためである。
 気を取り直して、関西学院大学受験へ向けた学習を始める。過去問を何度も解き、問題集も何度も解いた。それでも、解らずじまいになってしまった問題もあり、かなり悩んだ。それでも、私は関西学院大学での受験を無事に終えることができた。筆記試験はかなりひねりが入っていたため、一筋縄にはいかなかった。面接試験もかなりの圧迫面接で緊張していた。
 受験会場から出た後、「やりきった」という私の気持ちを表現するがごとく、天候は曇りから晴れになっていた。眩しいくらいの天気で、私は気分が楽になった。そして、気持ちを日本大学に切り替えて東京に戻った。
 その後、日本大学受験を以って、私の受験は終了した。
 友人からは「日本大学だったら離れなくて済むから良いね」という言葉や、「日大だったら中学歴だね」という言葉をもらいながら、友人と遊びつつ結果を待った。
 まずは、日本大学からの合格通知。それは正直想定内であった。しかし、肝心なものは関西学院大学であった。結果は、合格。すぐに友人へ知らせたり、短大の先生に伝えたりした。偏差値40の短大から偏差値60の大学へ合格したとあって、激励のお言葉を各所からいただいた。この編入が成し遂げられた要因は、もちろん周りの方々のご協力もあるが、最後まで諦めなかった私の精神力が一番であると考える。
 編入をするきっかけは人それぞれである。しかし、編入試験がきついことは誰でも共通している。これから編入を志す人は、最後まで諦めないで自分の目標に向かって、がむしゃらに突き進んで欲しいと考える。

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