人生のスタートラインにつけた!

私は道内有数の進学校に通っていたのですが、芸能活動を行っていたり心的な病にかかったりしてしまったことにより進級のたび試験を課せられ卒業すら危い程勉強で大幅な遅れを取り、当然のようにして4年制大学への進学ができませんでした。芸能活動と療養をどちらも有益にすべく地元を離れ、編入を視野に入れた上で短大へ進学しました。高校の友人は皆、北大や明治等一流大学に進学する中自分は同じ環境にいたのに入れる大学すらなかったことからの学歴コンプレックスと、短大時のゼミを通して今のまま就活をしても未熟であると感じたため4年制大学へ進学し、一つの学問に自分の興味関心の視点から見つめた上で就職活動をするという過程を経たかったということが挑戦の動機です。短大時は本格的に編入に専念するため事務所を辞め、ゼミのテーマであった言語学を扱う大学への編入に挑戦しましたが東京女子をはじめとする4校すべてに落ちました。後悔だらけで進路未定になった私は中ゼミに通いたいと親に頼み、仕送りなしという条件のもと承諾してくれました。意志は強かったので喜んでやろうと思いました。そしてせっかく編入浪人できる環境にあるなら言語学以上に興味を持っていた社会科学での挑戦を、と考え日東駒専を目標に経済系に入りました。1学期は試験直前に働けないことを考慮しその分の生活費を稼ぐため授業以外の時間はひたすら働きました。睡眠時間は3時間程度でした。貯金するために1ケ月20万円は必要だったので朝昼はアパレル店員、夕方は授業、そのあと終電や朝までカラオケ店員、という日もしばしばありました。この時期の勉強はアルバイトの休憩中や電車内でしかできていませんでしたが、勉強をさぼった日は法政の試験日まで1日もありませんでした。夏は少しアルバイトを減らしました。また1学期の疲労から倒れてしまい、夏期講習後半は出ていません。2学期は授業もアルバイトも最低限度まで減らして朝から夜まで勉強する日々でした。そして結局中央・明学・法政の順に3校を受験することに決めました。全校私には身分不相応な大学でしたが、早く受験を辞めたかったので最初の中央に絶対合格したいと思い対策を必死で行いました。ですが結果は不合格でした。残された明学や法政は例年合格者が1-2名の若干名かゼロだったので絶望し切り替えられず、次の明学にも落ちました。そして先生に怒られ危機だと気付き、1週間法政対策を行い、気合いで粘りました。そして法政当日、最終審査受験者発表の紙に自分の番号が掲示されているのを見つけ、目がおかしくなったのかと思いました。しかし何度見てもあるので事務の方に確認すらしました。奇跡的すぎて号泣しました。面接では「死にもの狂いでつかんだ面接でした」という話をしたら「よく生計立てながらここまで残ったね、その強いモチベーションで待ってるね」と言われ、周囲が理解し難いこの両立の苦労を、雲の上だと思っていた法政の人間に認められたことがあまりにも嬉しく本当に頑張ってきてよかったと心から思いました。入校時目標としていた日東駒専や昨年第一志望とした東京女子以上でなおかつ高校の友人たちに引け目を感じないほど手が届かない場所にあった法政、そしてそこに学びたかったことを学びに行ける私は本当に幸せです。やっと人生のスタートラインに立てたと思うので、この経験を糧にキャンパスライフを楽しみながら自己成長に努めたいと思います。
私は短大の中でも英語の成績は非常に悪くゼミの担当教員にもいつも心配ばかりかけてしまっていた存在でした。どうしようもない程バカでも努力次第でこんなこともあるので、これを読んでくれている編入志願の方は絶対に目標を下げず、粘ってみてください。また法政経済への編入を少しでも考えている方がいましたら中ゼミを介して遠慮なく私を使ってください。そして注意事項として、私がしていた働きながらの編入対策はこれから試験を受ける皆さんにとって有益ではないと思うので勧めません。
最後に講師のみなさん、私の人生を変えてくださって本当にありがとうございました。定評の通り、中ゼミはすごいところでした。
以上が私の体験談です♪

タイトルとURLをコピーしました