何事も途中で諦めない

 高校時代、私は陸上部に所属していました。私は母校の陸上部の中で他の部員達と比べて足が速い生徒でした。それゆえ、私は1年生の時に2年生の入ったリレーメンバーに選ばれました。当時、私は陸上部に入部後タイムをどんどん縮めることができ、1年生の中でも足の速い生徒だったので、満足していました。高校1年の秋、私は先輩と仲を悪くし、陸上部を退部しました。その時、私は途中で何事も諦めることをやめようと誓いました。高校3半の時、私はMARCHを目指すことを目標にしました。私は河合塾、代々木ゼミナールなどの予備校には頭のいい人がたくさん居るという印象を持っていたので、予備校の授業スピードに3年生から入塾してもついていけないのではないかと思い入塾しませんでした。私は家庭教師にきてもらい勉強しました。私は家で遊ばずに猛勉強しました。

 その結果、私はすべり止めにしていた大学も落ちました。私は河合塾で浪人することになりました。私は陸上部をやめた時、何事も途中で諦めないと誓ったので、現役時代に目指していたMARCHを目指すことにしました。私は河合塾でも河合塾の自習室で猛勉強をしました。私は努力の成果で偏差値56まで上げることができました。浪人時代の後半、合格すれば私はMARCHでなくても関関同立なら良いと思っていました。立命館はセンター併用という試験方式がありました。これはセンター試験の日本史の点数を一般試験で使えるというものです。私は日本史の黒本を10年分やり88点は取れました。毎回、85点程度は取れたので、センター試験で90点取れる可能性があると思いました。河合塾の人がセンター併用なら、日本史で9割取りたいと言っていたので、私は合格する可能性があると思いました。私は黒本を5年分くらいやった時、私は日本史のセンター試験の問題の答えにパターンがあることに気づいていました。私の気づいた答えのパターンはセンター試験本番では通用しませんでした。その結果、センター併用入試を受けることができなくなりました。私はすべり止めで受けていた大学に合格しました。私は編入を意識しま

した。

 私は中央ゼミナールに大学2年で入校しました。私は中央ゼミナールでもMARCHをめざしたいと思いました。中央ゼミナールに入学後、2年の前期では、私は単位を62単位以上取得することに集中しました。62単位以上前期に取得することによって、後期に勉強する時間をたくさん作れると思ったからです。私はミクロ、マクロ経済学が苦手でした。私は高校生の時文系を選択したので、数学を学んできませんでした。私はミクロ、マクロ経済学で計算を使う章を捨て、勉強しました。私は坂東先生にミクロ、マクロ経済学を苦手としていることを相談しました。私は坂東先生に丸暗記を勧められました。私はミクロ、マクロ経済学の1学期、夏期講習分を丸暗記しました。私のミクロ、マクロ経済学勉強法はノートを作り、その次に丸暗記する方法でした。私はミクロ、マクロ経済学のノートを作り始めたのが2学期からでした。私はミクロ、マクロ経済学の2学期分を勉強する時間が足りないと感じました。夏休み内に、私がミクロ、マクロ経済学のノートを作り終えていたなら、2学期分を丸暗記出来たかもしれません。私は後悔しました。私はミクロ、マクロ経済学の2学期分を勉強する時間か無いと判断し捨てました。時事はプリントを丸暗記しました。経営学はノートを作り、丸暗記しました。私は昔から目指していたMARCHである中央大学に合格できました。私は必修科目を捨て、受験し合格したので合格取り消しにならないか不安でした。このような不安を抱えている時に、中央ゼミナールでの面談は役に立ちました。

 私か中央大学に合格出来た理由は中央ゼミナールに通学したこと、最後まで諦めなかったことだと思っています。私は中央ゼミナールの経済・経営系スタッフの熱心な授業、サポートのおかけで、今までの努力が報われました。ありがとうございました。

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