母国語と向き合った一年

 日本語力には昔から自信がありませんでした。高校受験も大学受験も国語はフィーリングで解いてきたせいで日本語はてんでだめでした。今年で編入試験は二度目でしたが、一度目の試験に失敗したのが自分の日本語力のせいであることは容易に想像できました。中ゼミに入ってまず言われたのも日本語の文章力で、とうとうこいつと向き合わなくてはならない日が来たのかと覚悟を決めました。
 そもそも大学に入ってから哲学という学問を知り、他学部や他大学の講義にも潜って学んできたのですが、私の哲学の知識は大半が独学によるもので、従って誤読も多いことは必然でした。中ゼミでの授業でもいかに哲学史を無視してきたのか、乱雑に知識を詰め込むだけの学習をしてきたのかを痛感させられ、特にそれが私の拙い文章を通じて現れてきたのです。
 あきれた話ですが、日本語力あるいは国語の能力が高いから哲学にチャレンジしようとしたのではなく、哲学に魅かれてから壊滅的だったその能力を鍛え始めたのです。哲学の巨人たちとはまるで対照的です。
 中ゼミには本当にお世話になりました。小論文で日本語の文章構成を根本から考え、哲学論文では自分の雑な言葉の使い方や用語の理解を正す機会をいただきました。英語やドイツ語は、特にドイツ語の文法を徹底的に学びなおしたことで日本語の文の組み立て方に参考になる考え方を得ることができました。
 このように各分野から自分の日本語力に対して得たものはありましたが、全分野を通じて、自分の書いたものについて指摘を受けたことが一番私の力を伸ばしてくれたものだと思っています。もとがボロボロな日本語を直してもらうので相当な赤が入るのですが、そのようにして自分の欠点が可視化されたことが自分の日本語力の向上にとって大きな前進をもたらす鍵だったと確信しています。
 この一年は自分にとって実りある一年でした。日本語力だけでなく、雑だった知識は授業を受けまた本を読むことで確かなものへと近づき、哲学をするとはどういうことかを考えさせられました。また右往左往の末に自分の研究対象にあった大学を見つけることもできました。
 編入試験の面接で「語学に終わりはないからね」と言われました。その通りだと思います。外国語も語彙を思い浮かべれば果てしない道のりですが、より身近な母国語であるからこそその道の奥深さに気付くことがありました。四月以降は場所を変えて、言葉と思考の深みへ潜っていきたいと思います。一年間ありがとうございました。

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