自分を知ることの大切さ

 僕が大学編入を志したきっかけは、自分で努力して大学に入りたかったからです。高校3年生の時、通っていた高校が第一志望校であったのもあるせいか、ハングリー精神は殆どなく、とりあえずどこかしらの大学に入れればいいと思っていました。そして、近所の楽に入れる大学に入学しました。最初は、なんとも思っていなかったのですが、徐々に自分の大学に対する引け目みたいなものが湧いてきて、ついに3年生一杯で大学を中退して、4月に中ゼミに入学しました。
 入ったばかりの頃の僕は、「前いた大学は俺にはふさわしくない、やればいくらでも上を目指せるはずだ」なんて思いながら中ゼミに通っていました。でも、志望校は決めておらず、フリーの身でありながら一日中勉強しているわけではありませんでした。そんな時、英語の千頭和先生の授業を受けました。歯に衣着せぬ物言いで、すごいキツイこと言ってくる先生だなと最初は思っていたのですが、でも言っていることは正しいと思ったし、何しろ生徒に対して愛情があると思いました。大学を中退した僕にとって、先生の罵倒はとても精神的に応えて、帰りの電車では自分のことを完全否定された気分とともに、いつもぐったりしてしまっていました。でも、先生の言っていることを否定することは簡単です。辛いけど、今の自分、今までの自分を振り返りながら自分の悪いところを少しずつ直していこうと思いました。その結果気づいた一番大きなことは、僕は全く精神的に自立できていないということです。上手くいかないことがあったらすぐ人のせいにする、さらにそれが悪いとは微塵も思ってない。僕はそれまで「自分はやればできるけどやらなかった。だからあんな大学に入った」とずっと思っていました。でも、本当はそうではなくて、賢さが足りないことが原因だと気づきました。ただ、先生の話はずっと聞いていたかったのですが、丁度志望校までの道筋も自分なりに見えてきたこともあり、これ以上受けていても信者になるだけだと思って9回目を最後に先生の授業をやめてしまいました。それから、他の授業も志望校に合わせ、追加、取り消しをして、1日中、中ゼミの自習室にこもって勉強する毎日が始まりました。授業の復習、参考書、問題集、英単語・英熟語は4月からずっとやってきたことですが、それらをより長時間取り組むとともに、毎日、家から新聞を自習室にもっていき国際面を中心にじっくり一時間近くかけて読みました。また、長文がすごく苦手だったので、毎日中ゼミから坂を下ったところにある公園で音読をしていました。夏になると、中ゼミでずっと勉強するのに飽きてきて、6時くらいになったら新宿に行ってご飯を食べて、喫茶店で夜11時までやっていました。でも、10月に入ってから勉強疲れが出てしまい、5時くらいに自習室を出て、家に帰ってテレビを見てしまう日が何日かありました。ただ、無理してやっても意味がないと思って、自分のやる気でできる範囲のことをやろうと思い、新しい知識を入れるというよりも、今までやってきたことを総復習することに徹しようと思いました。そして迎えた本番、不思議と緊張はせずに試験を終えることができました。でも合格発表までの期間は本当にこれ以上ないくらい不安でした。僕が勉強してきた国際の分野で年明けに受けれる妥当な大学はなく、落ちたら路頭に迷うことになるので本当に不安で仕方なかったけど、携帯で合格の二文字を見たときはとても嬉しかったし、安心して体の力が抜けてしまいました。
 ここで、これから編入をしようと思っている人に伝えたいことは、自分のことを知ることは大切だということです。
 僕の中ゼミの知り合いにも、最初は超難関大学を志望していたけどあまり勉強していなく、少しずつ志望校を下げて現在通っている大学とあまりレベルの変わらない大学を受けることになった人が何人かいます。確かに、上を目指せばそれだけでなんかすごくなった気になるのかもしれません。自分の実力を早くから客観的に認識したうえで、自分にできるベストを尽くすことが大切なのだと僕は思います。それと、これは案外当たってることだと思うのですが、自習室で単語帳を見てる人はまず落ちます。僕は4月から11月まで、最寄り駅から中ゼミまでの往復2時間どんなに疲れていても単語帳と熟語帳はやっていました。だから自習室で単語帳を見ている人は、電車で何やってるんだろうと思ってしまいます。あと、まだ合格してもいないのに、やたら努力したアピールする人。僕は合格までやってもやっても不安でした。合格までは、いくら不安でもいい、とにかく無理をせず自分にできる限りのことをすることが大切だと思います。

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