俺流編入受験道

<2007年最初の大学編入あきらめ>
 私は美術大学で持続可能な社会をデザインで実現させるという専攻を学んでいた。しかし、デザインという方法だけで本当に持続可能な社会は実現できるのかという戸惑いが生じ、2005年に大学を中退してしまった。方法論への懐疑もそうだが、まず社会とは何ものかという社会の構成原理を知らなければ、持続可能な社会さえ覚束無いだろうというのが当時の思いだった。もちろんデザインを突き詰めていけば、必ずどこかで社会の知識も要請される。そして今から考えれば中退は不安定に結びついてもいる。しかし当時はそんなことは若さのあまり顧みもせず、ただ社会を知りたく勇み足で中退を選択してしまった。その後機会があり、ドイツに1年間留学したり大学で学んだことを活かすためにデザイン事務所に就職したりと進路を模索していた。折しも格差社会という社会問題が立ち上がっていた時期だけに、なぜこんな社会になってしまったのだろうかという疑問を抱いて悶々としていた。それまで個性ある仕事がしたいと単純に美術大学を選択したものにとって、社会とは何なのか皆目見当もつかなかった。まず「学問とは何ぞや?」という疑問の根幹を迫っていくうちに「ああ学問とは科学なのか!」とその時初めて知ったような有様だった。科学の中でも社会を知るには社会科学を学ばなければならないことがようやく分かり、専門的に学んでみたいという欲求に駆られ、大学への編入試験という道を決意した。
 その頃はまだ社会科学の中でもどの専攻を学んでみたいか決めていなかったが、2007年の夏であったために時間もなく、予備校だけ決めてから後で専攻を決めようと安易に考えていた。当初は某K塾の編入専門校へ足を運んだが、その事務的な扱われ方や何をするにも料金がかかる制度に嫌気がさし、編入試験に対応している予備校で、一番良心的な予備校を探した。そこで中ゼミが見つかった。中ゼミの総合科コース生を選択すればすべての講座を取れるというシステムに感動し、喜び勇んで入学した。講座を何個選択しても変わらない料金に感動し、社会科学系の講座は取れる限り全部取った。働きながら勉強したかったため、デザインから定時に退社できる警備という仕事を選び、就業後に中ゼミで学んでいた。政治学論文講義の金子先生の授業資料の緻密さや編入社会学・学際論文の赤田先生の時事や芸能を上手く織り交ぜた授業は印象深かった。しかし、進路について一向に明確にできない自分がおり、そのまま中ゼミをフェードアウトしてしまった。受験への熱が入らなかったためだ。自分の想いが固まっていなければどんなに優良なサービスがあっても、何も得られずじまいであることを悟った。
<大学編入に再挑戦するまで>
 編入をあきらめてから、次に選択したのが通信教育を受講することだった。どうせ専攻を探すなら、大学の学位でも取れたほうが得だろうという打算的な考えで、各大学の社会科学系の通信教育の中でも一番学際的な日大法学部政治経済学科に入学した。しかしここでも大きな壁に阻まれた。通信教育という教授との一方的なコミュニケーションであったため、記述した論文が剽窃や盗作しているなどという評価判定が返ってきた。このままでは卒業までに何年もかかってしまうと焦り始めた。
 その頃までにはようやく進路がおぼろげながら見え始め、持続可能な社会を実現させる方法はデザインではなく“教育”にこそあるのではなかろうかと、輪郭が見え始めた。次世代の社会の構成員を育成するのは教育である。だからこそ持続可能な社会を実現させるために教育に携わりたいと感じるようになっていた。そのこともあって通信教育のスピードでは卒業までに限界を感じていた。専攻も絞ることができた。専門分化された社会科学の中で、最も社会そのものに迫れるのは社会学しかないと思うに至った。これほどまでに社会学に魅せられたのは、朝日新聞が主催する朝日カルチャーセンター(以下ACC)の官台真司や橋爪大三郎氏の講義を聴講してからだった。※このACCはただのカルチャースクールではない。その講座に当代一流の学者が来ている。学生割引もあるので、本当にお勧めしたい。彼らの講義を聴き、社会学の学際性や学問の垣根を易々と飛び越える姿に魅了された。2009年春になってようやく社会学を専攻し、社会科の教師という職を持って社会に参画したいと腹が決まった。
<2009年度の大学編入再挑戦>
 社会科の教師になるには、教員免許が必要だった。その条件として学部卒業が課せられていた。まず行きたい大学を選んだ。学部で2年間は学んでいたこと、社会人として数年は経験していたこともあったので、それらを選考の考慮に入れてくれる社会人編入が可能なところを探した。社会学を学べ社会人編入が出来るところは2か所だけだった。埼玉大学と明治学院大学のみであった。次に予備校であるがここは迷うはずもなかった。このときこそは社会学を学ぶんだという確固とした意志を持って中ゼミに戻った。
 中ゼミの入学相談面談はあの赤田先生が対応してくれた。そして自分を懐かしがり快く接してくれたのはこの上なく嬉しかった。講座も前回のように複数選択するのは止めた。社会人編入の受験科目は小論文と面接のみであったため、社会学の知識だけを必要とした。そのため、編入社会学・学際論文の単科コースを選択した。入学金は以前入学していたために1万円のみであり、講義以外にもサービスを利用することができた。良心的な中ゼミならではである。※特に感謝したサービスは自習室の利用と学習相談・面接練習(15回)だった。他にはない自由度と親身になって応対してくれるスタッフの皆様には感謝した。
<合格までの生活と勉強法>
 2008年より警備を辞めて、物流会社で社員として働いていた。物流会社は退社時間22時~23時がほとんどで、総労働時間も月315時間を超えるありさまであった。このままでは絶対合格できないと、雇用条件を社員からアルバイトに変更してもらった。赤田先生の授業は月曜日しかなかったが、17時に退社してからその足で中ゼミへ行き21:30まで本をむさぼり読んだ。年間で150冊は優に超えただろう。本の内容を理解しているかはともかく、人生で一番本を読んだ期間であったことは間違いない。こんな体験が出来たのも中ゼミのお蔭だった。赤田先生が推薦する著作はほとんど目を通した。
 かなりの出費は想定しておいた方が良い。アマゾンの中古や古本屋で購入するのがベスト。図書館で借りるよりも買って出版市場を活性化させましょう。まず①評論に必要な語彙本・②小論文の書き方・③社会学入門書・④社会学各論書・⑤社会学原典という順番で読んでいった。④社会学各論書・⑤社会学原典は面接対策のために読んだ。春から始めて夏までを①と②、夏から秋までを③、受験までを④と⑤という形にした。さすがに夏の間は夏バテもあってか中だるみをしてしまったが、受験が近付くにつれてそのような状態は無くなっていた。
 埼玉大学、明治学院大学双方とも試験が11月だったので思い切って11月1ケ月間は追い込みのため休業をし、受験に専念した。この1ケ月間で何をしたかというと、面接対策と小論文対策の追い込みを行った。面接対策は、社会学系の先生方全員に面接の想定問答をして頂いた。特に丹波先生には面接で大変にお世話になった。当日に想定する質問をいくつも用意して下さり、自身の進路や考え方に整合性を持たせることができ、毎回様々な研究成果や先行事例を教えて下さった。授業で教わったこともない社会学の知識も教わり、深く思考することが出来た。丹波先生には心より感謝している。小論文対策はとにかく過去問に合わせて暗記を徹底的に行った。東急ハンズでいちばん大きな単語カードを購入して、暗記をおこなった。特に役に立ったと思われるものは、社会学の理論用語集である。社会問題ごとに社会学の理論をまとめ、理論の概要や提唱者・その著作などを記述したものを作った。その他に、時事用語集などの単語カードを作成し暗記に終始した。大学によって出題方法が違うので、過去問に合わせたまとめが必要だった。
<受験当日>
 結果として、埼玉大学は見事に落ちてしまった。自身の経歴の整合性を問われ続け、研究テーマや研究計画については何も話せなかったことも要因としてあるが、結果的に自身の志望理由書が実証結果を踏まえない点に論及されてしまい、何も語れなかったために悔し涙を飲んだ。例えば、格差社会は何を根拠にしているのか? 世界のジニ計数を比較しているのか? 所得分配前と所得再分配後のジニ計数はどうなのか? 想定することもできていなかったため、面接官の圧迫面接に圧倒され対応できなかった。
 続く明治学院大学では失敗を生かして無事合格することが出来た。中ゼミによる面接対策が功を奏した。社会学系の先生方による面接の想定問答がそっくりそのまま出て、余裕を持って答えることができた。小論文対策も対応できたのは、赤田先生の分かりやすく興味深い授業のお蔭だった。赤田先生の授業を受けることで、社会学はさらに魅力を増して、生涯追求できる学問であると思わせてくれた。受験に必要な知識を、合理的にしかも時事や芸能を交えて楽しく教える姿勢は教育者としての模範である。
<最後に>
 中ゼミに通うことができ、合格することができた。中ゼミでなかったら合格していなかったと断言できる。落ちたら家族や友人に顔向けできず、職場の上司にも会わす顔がない。そのような“落ちたら地獄”が迫る中で、精神的に多分に追い込まれた。毎日たくさんの本をカバンいっぱいに詰め込み、手に豆が出来ながらも満員電車に揺られ続けて勉強した。藁をもすがる気持ちで、最後のチャンスにしがみつくその姿は、周囲から見れば悲愴感漂っていたかもしれない。しかし、達成した気持ちはその分晴れやかであり、失くしかけていた自分への自信も取り戻すことが出来た。
 まだまだ目標への先は長く、今回の合格はようやくスタート地点に立つことが出来ただけである。これから教員採用試験という、今回よりもとんでもなく高い山が待ち受けているが、この中ゼミで得ることが出来た勉学への楽しみと継続する重要性をそのまま維持しながら頑張りたい。 

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