タイトルは、自身の編入学へのテーマである。少し厳しい言葉に聞こえるかもしれない。「結果がすべてではない」と批判させるかもしれない。しかし、「合格」という形にこだわる背景には、自身の厳しい大学入試の経験がある。
私の高校は、いわゆる進学校であった。大学へ行くことが当たり前で、多くが国公立大学を狙い、中には医学部や東京大学に合格している人もいた。理数科の高校であるゆえ、学年の八割方が理系であった。そんな中、私は高校入学後、周りの頭の良さに圧倒され、学習への意欲や「楽しい」と思えるような感情を失ってしまっていた。定期テストで、学年全員の下から6番目の順位を取ったことさえある。いつしか、理系科目が苦手になり、理数科しか設けられていない高校の中で文転していた。高校2年生の夏休み、プレ受験生として「10時間勉強を一週間すること」を学習塾と学校から強いられた。私は、これができなかった。夏休み明けの数学のテストで、再試を食らった。再試では、満点を取ったが、この時数学の先生から、「お前らは2年生の夏休みを捨てたんだ。」と言われた。
夏休み・夏休み明けあたりから、私の進路は専門学校へと変更していた。「今から勉強を頑張っても、自分が行ってもいいと思える大学にさえ行けないかもしれない。」そう考えて、美容師、ネイル、ブライダル、メイクなどを学ぶことができる専門学校を週末に探し回った。その専門学校巡りの中で、「2年間これらを専門学校で学び、それから大学編入をしよう」というなんとも勝手で都合の良い進路にたどり着いたこともあった。私は、ただ大学受験から逃げたいだけで、美容やブライダル関係の仕事を本気で目指している訳ではなかった。そんな不安定な気持ちの中、高校2年生の11月のある日、学年主任に「本当に大学に行かなくていいのか。その決断に迷いはないのか。」を聞かれ、受験への覚悟が決まった。受験勉強を始めてからは、自分で言うのもなんだが、本当によく頑張った。第一志望校で必要な小論文の全国模試で、二度も全国二位、現役のみでは一位を取った。しかし、いくら頑張っても現役の時に持っていた自信は、「根拠のない自信」であった。結果、第一志望校は不合格、また、ここなら納得して行けるという第二志望校は、三つ受けたうち三つとも補欠であった。春休みが終わるまで、第二志望校の補欠を待ち、結局不本意に第三志望校へ入学することになった。
この第三志望校への入学が決まった日から大学編入への思いは決まっていた。すぐさま、大学編入の情報を集めた。大学の入学式より先に中ゼミに相談に来た。もちろん、葛藤がなかった訳ではない。大学生活を送る中で、新たな人々との出会い、様々なイベントへ参加していく中で、「もうここでもいいや。」という思いも生じた。また、なにより編入試験にも失敗した場合、これからの人生のあらゆる失敗を全て学歴のせいにして、全て諦め、全く立ち直れなくなるのではないかという恐怖があった。しかし、それよりも「今度こそは」という強い思いがあった。「今度は、根拠のある自信をつけて臨みたい。」そう思い、2年次の4月から本格的に受験勉強を始めた。
とはいえ、独学が主なTOEIC勉強と中ゼミでの単科1科目の小論文対策、他の編入受験生より「教えてもらう」時間が少なく不安だった。しかし、TOEICで805点を取った時、中ゼミの模試で一位を取った時、信じたやり方が正しかったと根拠を持てた。「根拠のある自信」がつき始めたのだ。この「根拠のある自信」が「結果」を出すことに対するこだわりを強くさせたのかもしれない。自分のいままでの頑張りを、合格という結果を出すことによって努力として認めてあげたい。この「結果を残せて初めて努力といえる」ことは、「努力は必ず報われる」という考え方の言い換えだと私は思っている。最後のチャンスと思う位の強い気持ちで編入試験を受ける人なら、「結果として現れるものを努力」と考えることは間違っていないのではないかと思う。何としても掴みにいくこと、この一貫した心構えが私をたった一つの志望校合格へ導いてくれた。
私を大学受験へ導いてくれた高校の学年主任に合格報告へ行くと、驚き、喜び、そしてこんな言葉をかけてくれた。「大きい人間になれ、期待している。」と。私は、いままでの人生に後悔はしていない。理系の高校へ行ったことは、文系の大学生活では出会えなかった人と多く出会いさせてくれた。専門学校と大学という二者択一的な選択は、大学進学を選ぶことで、週1回の専門学校にも通うという選択肢を与えてくれた。そして、編入試験の合格は、一貫した気持ちと行動、周りの支えにより実現し、私に「根拠のある自信」と新たな目標を与えてくれた。
結果を残せて初めて努力といえる
お茶の水女子大学