編入試験は十分に計画を立てて

 高校三年時、私は受験に大失敗した。地元の国立に落ち、日東駒専にも落ちた。その後、浪人はせず、滑り止め校に進学した。それでも、高校生のときはさぼっていた訳ではなく努力して落ちたので、大学では悔しい思いをずっと抱いていた。その後、それを親に見透かされ、「知り合いで編入した人がいる。調べてみたらどうだ?」と助言された。この助言を聞いた私は、大学一年で、難関校の編入の募集要項を確認した。ここで、思い知らされたのはGMARCHの経済経営学部で、編入を行っているのは中央と法政の二校だけだということだ。また、関関同立も関西(商)のみ(ちょうど私の受ける年に経済学部募集停止という悲報)、関学は受かっても一人か二人、立命館はなし、同志社あり、地元の国立も編入はやってない、慶應なし、早稲田も受かるのは一人いるかいないか、という状況だった。それでも、挑戦してみようと考え、二月に中ゼミに相談に行った。入塾するかも定かではない中、中ゼミの先生(このときは本多先生)は真摯に情報や助言を提供して下さった。その際、早めに受験勉強を始めるなら私立の他、国立も視野に入れたほうが良いと教えてもらった。そこで私は、東北大学・中央大学・新潟大学この三校を主な志望校として、編入制度で、一般入試のリベンジをすることにした。
 ここからは、中ゼミでの受験勉強の日々について、述べたいと思う。(多少リアルなことも書く。)志望校に向けて私の勉強の日々が始まった。まず、私に必要な科目は、英語(TOEICと記述)、経済学、経営学、小論文、時事経済である。英語では、千頭和先生にとてもお世話になった。千頭和先生は厳しいことをいうのだが、それは私の今までの取り組みや心構えが誤っているからであった。確かに、予習、復習を怠たり、スマホをいじることなど思い当たる節があった。親の協力の下で受験勉強ができていることを自覚した。説教されてから罪悪感を抱きながら、必死に勉強をした。具体的に英語では中学レベルから品詞と五文型を考えなければならないことを学んだ。高校時代に、いかに根拠がなく勉強を進めていたのかが明らかになった。「これじゃ、専修とか東洋落ちるよな~」と思った。高校では英文にスラッシュを引かせてとにかく音読させられてばかりいた。基準も根拠なく勉強を行っていたのだ。でも、50対50と言えよう、どういうことかというと、確かに高校の先生も教え方など悪いだろう、しかしきちんと根拠を調べずに勉強していた自分も反省すべきであったということである。以降、私は責任を持ちながら勉強した。また、山崎先生も、緻密に作られたプリントを配布してくださり、鈴木先生も丁寧に質問に応じて下さった。勉強を進めていくうちに、英語の面白さを感じることができた。千頭和先生の方針のもと最終的に20冊近い参考書をこなし、自分の力を伸ばすことができた(添削答案も伸びてきた)。入試が近い頃、千頭和先生が「真面目にやれば努力は裏切らないだろ!」とおっしゃった。その通りである。本気になれた自分が嬉しくもあった。二学期から出た、中原先生の経済英語も自分の知識と関連づけて理解するため、面白かった。嫌いであった英語を面白いと思えるようになったのはとても嬉しい。
 英語のことばかり書いているが経済学では遠山先生が大事なとこは反復して教えてくれたし、経営学も毎回、松野先生に質問に行った。遠山先生は、目が充血しながらも、私の質問に応じてくれた。松野先生には再提出を何度もした。その他自習で経済学、経営学ともに解答例を何百枚も書いた(おそらくトータルで200枚ぐらい)。また、一回の授業分の範囲につき50回音読もした。私は、そんなに頭よくないので量で勝負した。専門分野は、まず手を動かすとよい。それから五感を使った勉強!そして水野先生にもお世話になった。面談や授業で、私の因果関係がはっきりしてない回答や日本語のおかしさを逐一指摘してくれた。文章力も日ごろから先生に再提出をしたり、読んだほうがいい本なども薦めてもらった。
 とにかく、必死でやっていた。そして、10月半ばに、初戦として岩手大学を受験した。対策してきたが、当日に時間配分の失敗で小論文が満足に書けなかった。結果は不合格だった。岩手大学はあまり、合格者を出さないことはあらかじめ知っていて難しいとは知っていたが本気で受かりたかったので落ち込んだ。それでも岩手大学の一週間後に日本大学があったので落ち込んでる暇はないと切り替えた。日大以降、時間配分の練習は綿密に行った。各先生方にも、復習を続けつつ過去問で時間配分や受験大学の傾向はきちんと押さえるように何度も言われた(この助言はかなり助かった)。そして日大試験当日を迎えた。何とかやり切ったものの、あまり手ごたえはなかった。その5日後に駒澤大学の試験を迎えた。駒大は全訳する問題で、中ゼミでの添削英語に慣れていたため十分にやり遂げた。しかし、面接であいまいな回答をしてしまう一面もあったので少し不安が残っていた。そして、いよいよ駒大の数日後に中央大学の受験を控えていた。かなり緊張していた。でも、このとき、微妙な手ごたえだった日大に合格した。ここで、私は「実力はあるはず、冷静に臨もう。」と前向きに考えて今までの教材の復習と過去問演習を繰り返していた。中央は毎年、100人以上が受験するため、当日プレッシャーを感じつつも直前まで時間配分の確認など行った。英語はやはり、難しかった、ターゲットの隅に書いてあることも出た。やるだけやった。だが、落ちてもおかしくない、と感じたのですぐに後に控えている受験校の勉強を行った。(日大で終わってはいけない)と強く考えていた。そして、山形大学も受け終わり(後不合格)、11月半ばに二つ目の本命校の新潟大学の勉強を行っていた。その半ば、中央の発表があった。頭が真っ白になるほど緊張する中、照会を行った。桜の画面と共に合格の文字が出た。このときの嬉しさは一生忘れないだろう。その後、国立も受かりたいと考え新潟大学も受けた。しかし、東北大学は受けないことにした。結果が出そろい日大、中央のほか駒澤、新潟も無事合格した。
 なんとか、四校合格できた。でも、分かってほしいのは楽な大学は一つも無かった、むしろぎりぎりだった。合格した要因として自分で言うのも愚かだろうが、私は中ゼミ一努力した自信はある。自習室も4月から毎日利用したし、量もこなしたし(ピーク時は15時間とか)、先生方とも綿密に作戦を立てた。
 最後に私は、リスクが高いので編入試験を今後、他人に勧めるつもりはない。ドロップアウトする人も多いのが現実だ(落ちる人もいる)。冒頭で述べたように難関校ほど、競争は熾烈である。それでも今後、編入を目指す人は、十分に計画を立てて臨んで欲しい。

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