諦めなければ道は開ける

 私は中ゼミに入る前、そして入ってからもずっと、先輩方の合格体験記を読み続けて、自分も合格してこの体験記を書くんだ!と思っていました。今こうして後輩のために合格体験記を書けていることがとても嬉しいです。私の体験記を読んで少しでも受験生の皆さんを励ませたら幸いです。
 私が編入しようと思ったきっかけは、いろいろありますが、1番の理由は学歴コンプレックスです。高校受験のとき、第一志望の高校に落ちてしまいました。そこから私の学歴コンプレックスは始まりました。友達は希望の高校に入り楽しそうに過ごしている中、自分は滑り止めの私立高校に通い、とても惨めで悔しい日々でした。その悔しさを大学受験に向けられればよかったのですが、私はそこで落ちこぼれてしまい(苦笑)高校生活は全くと言っていいほど勉強をせず、毎日遊んで遊んで遊びまくりました。そんな人間が大学受験で成功するわけもなく(苦笑)、高校3年生のときに受験した大学は見事に全滅し、浪人せざるを得なくなりました。その時は「一浪すれば第一志望の大学に受かる」と思っていました。ですが、一浪しても落ちこぼれの性格は抜けず、またもや希望の大学は全滅しました。親との約束で二浪はできないと決まっていたので、センター利用で入れる大学を探し、その時初めて聞いた名前の某女子大に進学しました。そこから私は地獄のような日々を過ごしました。「大学はどこ行ってるの?」と聞かれ、答えても知名度がない大学に行っていたので、「知らない」と返されるのです。もしここで有名大の名前を言えたらと何度も思い、悔し涙を流した日々も少なくありません。また、私は将来日本史の教師になるのが夢だったのですが、私の大学は歴史学科という学科でありながら社会科の教員免許を取ることができなかったのです(調べ不足の自分の責任ですが)。知名度がない、取りたい教員免許が取れない…、もう地獄です。そして、何よりも悔しかったのは、私の好きな人(失恋しましたが…笑)の彼女が某有名大学に通っていたことです。その彼女と自分を比べてしまい、自分の惨めさをより一層嘆き、「だから私は好かれなかったんだ、バカだから。」と自分を責め、大学1年生の頃はよく泣いていました。そして私は大学1年生の後期を休学し、仮面浪人を始めました。どうしても今の大学を出たかったのです。でも、独学では無理があり、休学したにもかかわらず、またもや落ちました。そして仮面浪人失敗ということで大学に復学し、もうさすがに限界だと思い、2年生の頃は学歴のことは忘れて毎日遊んで過ごしました。バイトも始めて、彼氏もできて、中国に短期留学もして、国語科ですが教職の授業も取って、大学生活をそれなりに楽しみました。そして3年生になりました。教職の授業が忙しくなるにつれ、自分のやりたいことができない現状が段々嫌になったのです。社会科の免許が取りたいのに、自分は今国語科の教職を取っている…と。
 そして、本当に本当のラストチャンスが欲しいと思うようになり、「編入」が頭に浮かんだのです。友達が短大から大学に編入するという話をしていたので、編入制度については少し知っていましたが、自分がすることになるとは思っていませんでした。両親をやっとの思いで説得し、予備校代、受験代は全て自分で払うのを条件に、編入受験をする許しを得ました。それが大学3年生4月のことです。
 最終的に私は金銭的なことが理由で、入学は5月になりました。5月に中ゼミの授業を受け始め、私は日本史学科志望だったので、泉先生の日本史、山崎先生、鈴木先生の英語、井上先生、高橋先生の小論文を受けました。ほぼ毎日授業がありました。苦手な英語は中ゼミの授業を受け、最初は全然解けませんでしたが、山崎先生が「まだ間に合うから!」と励ましてくれて、頑張ることができました。
 日本史はずっと個別指導だったので、泉先生と二人三脚で頑張りました。私はなかなか研究テーマが決まらず、「秀吉に関する何か」という、かなり漠然としたことしか考えていませんでした。なので、柚留木先生との個人面談で具体的なテーマを作り出した後、泉先生の授業時間を全て研究テーマの相談に費やしたり、受験直前期には泉先生をギリギリまで中ゼミに残って頂きました。「あと5分やったらお金が発生するので」と受付の方から忠告を受けたこともありました(笑)。泉先生、柚留木先生、ありがとうございました。
 また、小論文の授業では井上先生に自分の志望理由書を毎回見てもらい、何日までに添削をしてくれとお願いして、かなり手伝ってもらいました。スタートが遅かったので最後は学校をサボって中ゼミに志望理由書を提出しに来て、添削をしてもらいました。最終的にはよくまとまっていると言われ、それを丸暗記して本番に挑みました。井上先生、ありがとうございました。かなり無理を言ってすみませんでした(笑)。
 面接練習は、なんと試験日の前日に初めてしました(笑)。そもそも、個人面談を始めたのも夏期講習の終わりの方だったので、「1回も面談してないの?」と聞かれたこともあり、冷や汗をかきました。面接練習は井上先生にやってもらい、最初は言うことが全くわからず、めちゃくちゃなことを言い、「は?」という顔をされたのを今でもはっきり覚えています(笑)。そこから自分の書いた志望理由書を見ながら井上先生とかなり練習をし、なんとか形にしました。その後、先生の指示に従い、その日出勤されているいろんな先生方と連続で面接練習を行いました。文系の先生から理系の先生まで、1日だけで4~5人の先生方と練習をしました。最後には「今日ここに何時間いるの?(笑)」と笑いながら話しかけてくれた先生もいました(笑)。正直何時間いたかは覚えていませんが、立った時、立ちくらみがしたことは覚えています。
 面接練習は、家に帰ってから母に面接で聞かれるであろう質問事項を渡し、面接官になってもらい、練習をしました。正直、あの日井上先生がいなかったら、面接はボロボロだったと思います。井上先生、ありがとうございました。
 本番では、日本史の論文で「編入後に研究したいこと」と「歴史上の外交について知っていること(貿易や戦争、文化など)について」という論文が出題されました。志望理由書は完璧にした自信があったので、暗記したことをそのまま書きました。また、外交についても少し戸惑いましたが、鎌倉新仏教のことを覚えていたので、それも暗記をそのまま書きました(百済からきたから一応外交)。面接は用意したことが聞かれたので自信満々に答えましたが、ただ1つ「英語の試験はどんな問題でしたか?」という質問に少し黙ってしまいました。正直英語はボロボロでした。やっとで答えた後、面接官に一言「ちょっと違うね」と言われ、不合格を確信しました。帰りの電車でもなぜか清々しく『落ちたか~』と笑いながら帰りました。そして合格発表の日、大学のパソコンで合否を見て、自分の番号が載っていました。腰が抜けました。真っ先に両親に電話をし、その後大学の先生に報告し、友達や先輩にLineを送り、泣いて喜びました。中ゼミにももちろん行き、おめでとうと言われ、とても嬉しかったです。
高校受験から始まった不合格続きの受験でしたが、ようやく初めで合格というものを手にし、本当に嬉しかったです。中ゼミに行く時や帰る時、正直辛かったです。高円寺は家や大学からは近くはありませんでした。その距離的な問題と、大学の友達は今頃遊んでいるのに自分はこれから予備校に直行するんだ…と精神的にも虚しくなりました。帰りの電車でも、「もう間に合わない。編入も落ちるなら受ける前に辞めたい」と泣きました。泣きながら帰ることもしょっちゅうでした。でも、「ここで辞めたら編入を許してくれた両親はどう思う?応援してくれてる人たちはどう思う?ここで辞めたら未来の自分はどう思う?」と自問自答を繰り返し、落ちてもいいからやろうと続けました。その思いが遠い高円寺にも足を運ぶことができ、合格にも繋がりました。ありきたりな言葉ですが、「諦めなければ道は開ける」は本当だと思います。諦めずに続ければ受かることができます。私がそうでした。辞めたいと思った時に本当に辞めていたら、今頃以前の大学の4年生になる準備をしていたでしょう。あの時辞めなければと後悔していたかもしれません。辞めなくてよかったと心から思います。今もし辞めたいと思っている方、その気持ちとてもわかります。わかるからこそ言います。辞めないでください。辞めなければその後のあなたの人生が変わります。           
 私は辞めたいと思っている時も高円寺には行き続けました。高円寺駅にあるパン屋さんのパンが美味しかったのと、高円寺駅内にある自販機のチョコ味の飲み物が美味しかったからです(笑)。そういう勉強や受験以外の楽しみも見つけてみてはどうでしょう?。私は中ゼミに友達がいなかったので、そういう些細なところに楽しみを見つけていました。
 とにかく、中ゼミに行こうとしている、もしくはもう既に通っている皆さん、中ゼミには最高の先生方がたくさんいます。受付の雰囲気もとてもいいです。資料もたくさんあります。高円寺駅周辺も、美味しいパン屋さんやお店もたくさんあります。環境は最高です。だから、自分に負けないで頑張ってください。人生を変えられる最後のチャンスを無駄にしないでください。
 最後に、中ゼミの先生方の協力がなければ、私は合格できませんでした。感謝してもしきれないです。本当にありがとうございました。編入に合格できたこと、最後まで頑張り抜いたことは私の中で自信になりました。今後も合格した大学で自分のできることを精一杯頑張りたいと思います。本当に、本当に、ありがとうございました。

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