人生の勝ち組

 「結局お前ってなんもできないよな」私が高校三年の時。受験に落ちたときに友人から言われセリフだ。
 高校三年時はいわゆる一般試験ではなく、適当に大学を選び、適当に自己推薦入試を選択し、適当に面接練習を行い、志望動機に関しても全くもってとってつけたようなものであった。自分の中では、なぜか自信はあった。その自信というのは、努力を阻む、いわば受験の敵となって私の前に現れたが、私はそいつをそんな悪いやつだと思わず、その自信のまま受験を軽視してしまった。結果はもちろん失敗に終わった。そこで、友人に受けた侮辱の言葉を受け、悔しさが生まれたと同時に大きな野望が生まれた。そして、あえてかなりハードだと言われている専門学校へ入り、「編入学をしてあの時の友人を見返してやろう計画」の実行に移った。
 専門学校在学中の2年間(正確には1年半程度)は、今までの人生では想像もできないような時間数を勉強に費やした。ここで述べさせていただきたいが、私は小学校ではテストはほぼ10点や20点、中学校では学年テストでは毎回150人中140位台の常連組。進学した高校は偏差値40前半のいわゆるバカ校とさえ呼ばれていた。話を戻して、専門学校在学中はまずTOEICのスコアを入学時の405点から885点へ上げた。これがかなり自信につながった。初めて自分の勉強の成果を出したことだったからだ。中ゼミに入学したのは少し遅れての6月頃であった。哲学という全く新しい分野であり、少し出遅れたこともあって、かなり焦ったことを覚えている。毎週の授業の前に先生との面談を必ず予約し、わからないところをまとめて一気に質問攻めをした。それがあってか、哲学の基盤となるところにはそれなりの理解を得ることができた。夏に入り1学期の総まとめに入った。夏休み中は、自分が研究したい哲学者の著作の4巻に及ぶ大作を読み終え、かなり達成感に浸った。あとは、自分が埼玉大学へ入ったら何をしたいかなど面接で聞かれるようなことを考える時間に費やした。夏以降の受験前までは主に基礎を見直すことに時間を使った。
 人生初めての本気の大学受験はなんとか合格という結果で終わることができた。そこで学んだことがある。それは努力の大切さだ。自分にとって、これは大学に受かることよりも大事なことであった。こんなこと大学や中ゼミで本気で学んでいる人からすれば全く常識に思われることは承知である。しかし、自分にいくら自信があったとしても、その根拠のない自信は恐怖や現実逃避したい気持ちから生まれ、本物の自信は本気の努力により私たちの目の前に現れるのだと思った。
 また、受験でよく言われることは、受験は受かるか落ちるかの世界だ、ということだ。もちろん私はそれに反論しようというわけではない。ただ、一つ言いたいことは、かなり精一杯な努力をして落ちた人と、あまり勉強をせず当日はたまたま入ることができた人、たしかに後者は結果として受験では勝つことができたが、前者が人生での勝ち組であるということだ。後者は、たまたま人生の中の一部分の受験に勝っただけで、これから起こること全てにたまたまが応用されるわけではない。しかし前者の頑張りは受験では実らずとも、いつか必ず報われる。絶対とは言えないが、結果は努力やそれまでの過程に従ってついてくる、ということで私は結論付けた。このことはこれからの人生でとても大切だと思う。

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