努力は報われない

 最初にこの場を借りてお世話になった方々にお礼を申し上げたいと思います。まず、日本人なのに壊滅的な日本語でさらに読みにくい癖字で書かれた小論文を最後まで添削してくれた熊谷先生、林先生、御蔵先生には本当に感謝しています。添削して頂けなかったら、社会に出るまで自分がこんなに日本語ができないということに気づくこともなく、また、合格することなんてありえなかったと思います。本当にありがとうございました。次に、干頭和先生には他の先生に比べ厳しいご指導をしていただきましたが、そのおかげで私は英語を正しく読めるようになり、さらに社会人になってから必要になるであろうメモを取る能力や怠惰であってはならないことなど、人間として必要な能力を身につけられました。本当にありがとうございました。
 私が編入学を決意したのは、その年の一般受験の結果が出揃った3月25日であったと思う。私は行きたかった国立大学に進学できず、編入学試験を受けようと決めた。担任や友人からは『浪人すれば』とも言われたが、経済的な問題、1年を棒に振る可能性があったこと、その時の進学先を卒業して就職できるのかという不安があったから、ストレートで卒業できる編入学にした。以下では、なぜ中ゼミにしたか、大学1、2年次の大学生活と受験生活について記し、ささやかなアドバイスを送ろうと思う。
 まず、私が中ゼミを選んだ理由は3つある。1つは、受験科目が現役時代苦手科目であった英語とほとんど取り組んだことのなかった小論文であったことから、現役時代のように独学でやるより予備校に通う方が合格できる可能性があると思ったからである。次に、他の編入学対策をしている予備校に比べて合格実績があったこと。そして、編入学試験にかかる費用は自分で出す必要があったので、授業料が比較的安かったことである。
 大学1、2年次の大学生活と受験生活についてであるが、1年次はバイトと遊び、大学生活に追われ、全く編入学試験のための勉強はしてなかった。一応、TOEICの勉強はしていたが、今考えると勉強のうちに入らなかったと思う。
 2年次は、4月から中ゼミに週6で通い、大学には週3で通っていた。勉強内容について、暗記物は通学の電車内で覚えるようにし、大学の講義中もできる範囲で勉強し、わからないことは大学の教授や、中ゼミの先生に聞いたりした。そして、4~7月は、主に中ゼミでやったことをその日のうちに復習しながら、TOEICの勉強をしていた。8月の平日は夏期講習を受け、土日は地元の図書館でその週の総復習と再提出をした。9月からは受験校(同志社、名古屋、北大、横国)を決め、その対策(過去問を解き、添削してもらう)と志望理由書の準備を始めながら、授業の復習をした。ちなみに、どの科目をどう勉強したとか、この参考書が良かったなどについては、各人に合う合わないがあると思うので具体的に記さないが、一つ言えることは、編入学試験では高度な知識ではなく、論理的に説明する能力を求められているということである。したがって、無理に高度な専門書を読むのは時間の無駄である。ただ、民法を出題する大学(同志社、横国、北大、筑波など)を受ける方は民法総則を読むのをお勧めする。というのも、中ゼミの授業は多くの編入学試験に対応するために頻出テーマではない民法と刑法は浅くしか取り上げていない。一応、勉強する内容で書くことはできるが、他の合格者に比べ内容の薄い小論文しかかけなく、結果的に英語の重要度がさらに増すということになってしまうからである。ちなみに、刑法が出たら、運が悪かったと思うしかない。一般受験で受からなかった自分が悪いと思いながら、概論や時事課題で扱った知識で解答用紙を埋めることを心がけよう。
 一見、勉強できてるように思えるが、実際は小論文が上手く書けず、添削では低評価を入試直前の10月半ばまで連発させていた。加えて受験結果は、同志社は不合格、名古屋は1次試験通過するも2次は不合格、北大は92点で不合格、横国は全然論文を書けず、またTOEICの点数も640点しか持ってなかったので不合格と、年内は不合格続きだった。正直に言って、同志社と横国はあまり手応えがなかったのでなんとなくは察していたが、名古屋と北海道に関しては過去問に比べて小論文は書けた気がしたし、英語は内容をつかんだ上で和訳できていたつもりだったから、不合格通知が届いた時は本当に辛かった。その辛さから逃れるために12月、1月はずっと前から欲しかった服や靴を買ったり、遊んだりバイトに明け暮れたりしていた。そんな私が2月の筑波を受験しようと思った理由は3つある。1つは、成人式で浪人していた友人が自分より頭のいい大学に進学していたことを知ったことである。もう1つは、中ゼミでできた友達に受けるよう勧められ、他の友人から「最後までやりきれ。」と言われたことである。
 最後に自分で働いたお金をかけたのに、結果が出ないのが情けないと感じたことである。筑波を受験すると決めてからの1ヶ月は、先生の答案を参考にしながら、自身の答案を添削することで、より正確な日本語で説明できるよう心がけた。また、英語は一般入試の問題集を解き、解いた英文を和訳することを繰り返した。志望理由書は他大学で使ったものを少し方向性を変えて自分なりに書き直した。面接練習はバイトの面接を2つ受けたことぐらいである。
 最後にささやかなアドバイスを6つ送ろうと思う。1つ目は単位についてである。大学によって出願要件単位数が変わるが、62単位は2年の前期までに取得するよう勧める。というのも、私は2年次の前期終了時点で54単位(名古屋、北大の出願要件単位数)しか持っていなく、筑波を合格していても単位発表まで編入できるかわからない、ということになってしまうからだ。合格発表から単位発表までの1週間は生き地獄と言ってもいいくらい辛かったので、そうならないよう前期までに62単位以上は取得することを強く勧めする。
 2つ目は周りの人に編入学することを宣言することだ。というのも、一般入試に比べ編入学は自分との戦いという色が強く、また、4年制であれば在籍校の友人は遊んでいるので、夏前に中ゼミに来なくなる人が多数出る。それではお金と少しでも編入学試験のために勉強した時間が無駄になるので、やめられないよう周りに宣言することを勧める。やめられない状況にすることも合格するには必要な能力であると思う。
 3つ目は過去問演習と面接対策は万全にすべきということだ。年内の受験後、合格した同期は過去問を10年分近くやり(私は5年分しかやらなかった。)、面接対策として何冊も本を読み、志望理由書に関する知識をまとめていた(私は3冊読んだが、うち2冊は流し読みであまり知識を得たとは言えない)ことを知った。この差が合否を分けたと考えられるので、対策をきちんとすべきである。蛇足ではあるが、面接官のことは常に親戚のおじさんかおばさん(緊張はしないが、そんなに近くない関係)だと思い込みながら、聞かれたことにきちんと答えるようにするといいだろう。
 4つ目は専門科目より英語に比重を置いて勉強することだ。すでに記したように、専門科目は出題形式・内容の傾向があってないようなものなので、あまり傾向に変化のない英語を安定させることが合格への近道であると私は思う。
 5つ目は早めに受験校を決めることと、9月あたりにどこかの大学を受けることだ。過去問演習や志望理由書の作成に早くから取り組めるだけでなく、早めの受験をすることでその時の実力を実感し、さらには滑り止めも作れるといいことだらけである。万が一私のように滑り止めを作れなかった方は、結果が出る前から察すると思うので、最後の追い込みをかける契機と考えよう。
 6つ目は油断しないということだ。私の場合、11月4日に名古屋の1次を合格し、少し浮かれながら同月7日に北大を受け、さらに同月11日に名古屋の2次面接を甘く考え受験し、実際にそれが結果に出ていると思うので、絶対に油断すべきではない。
 ここまで駄文を読んでいただきありがとうございます。最後に、題名について少し説明をさせてください。成功する人は失敗する中で、努力すべき正しい方向を見出し、それに従って継続的に努力するから成功すると私はこの1年で感じました。だから、これを読んでいる方には是非とも自身の第一志望合格という成功を得るために、入試まで失敗して改善するというのを繰り返してほしいです。皆さんの合格に少しでも力になれたのなら幸いです。

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