環境を最大限に活かすことが、合格への近道

 私が編入を決意したのは、高校3年生の受験が終わった頃だった。中学の台湾留学を経て、日本に帰国後も中国語を使う環境にいたいという意思から、高校はナショナルスクールに通った。そこの非常勤の先生方が某予備校の先生だったこともあり、私は高校1年生から予備校に通っていた。中学は日本にいなかったこともあり、普通の中学生が学んできた、社会や歴史を勉強していなかったこと、また、もともと数学、国語もあまり得意ではなかったことから全科目やった。しかし、色んなものに手を付けすぎた結果、すべて中途半端に終わり、大学受験に失敗した。周りの友だちは一流大学と言われる大学に合格した。ナショナルスクールだったこともあり、周りの友だちは自分と同じ環境だった人が多かった。唯一、彼らが私と違っていたのは環境の活かし方だった。しかし、それに気づいたときには、もう受験が終わっていた。一部の先生からは浪人という選択も進められたが、自分は浪人して伸びるタイプではないと思っていたので、合格した短期大学に進学した。

 最初は短期大学の授業が苦痛で仕方がなかった。入学してまず、英語のクラス分け試験があった。英語のクラスは全てトップクラスであったが、高校の英語の授業よりも圧倒的に簡単で、最初はテストがあっても勉強しない毎日を送っていた。しかし、高校の時にできなかった「環境の活かし方」を思い出し、このままだとまた同じ過ちを犯してしまう気がしたので、その時から英語の中でも自分が苦手な分野を克服しよう、この環境を活かそうと思いながら短期大学の授業を受けた。

 高校3年生の頃から3年次編入をしようと思ってはいたが、真剣にどこの大学を受けるか、そのために具体的にどのような対策をしていくかを考えたのは、2年の7月頃だった。大学と短期大学が1つのキャンパスになり、大学の授業が受講しやすくなったため、大学の授業を単位認定される範囲でぎりぎりまで取った。そこで取った法律学と日本国憲法がすごく楽しくて、短大生活の中で一番刺激的だった。それから法律関係の学部に行きたいと考え始めた。しかし、すでに2年の前期だったこともあり、今から法学部はきついし、どのように勉強していいか分からなかったので、法律学の先生に相談したら、短大から編入で法学部に合格した先輩のことを聞いた。先生がその先輩を紹介してくれ、具体的にどのように対策をしたか聞いたら、絶対中ゼミに通った方がいいと言われた。経済的理由もあり、予備校に通うのはきつく、高校で予備校に通ったが結果を出せなかったトラウマもあり、中ゼミに通うか悩んだが、人生がかかっていたので親に頭を下げ、学費を払ってもらった。法学部に行くには、様々な授業を受講しなくてはいけないことは知っていたが、過去たくさんのことに手を付けすぎて失敗したこと、また2ヶ月で結果を出さなくてはいけなかったので、単科で坂東先生の社会時事系小論文と熊谷先生の法学部の時事・課題文型小論文だけ受講した。

 最初の授業では、まったく話についていけなく、また講義を受けたあとすぐ小論文を書いて、その時間に提出しなくてはいけなかったので、とても苦労した。まず知識がなかったこと、そして小論文の型ができていなかった。当然ながら最初はどっちもD評価だった。志望理由書提出の時期だったこともあり、とても苦戦していたので、面談を組んでもらい、小論文の書き方や知識を得るための本を紹介してもらい、また自分の経験など、自分の全てを先生に打ち明けた。先生と面談しているうちに、自分が本当は何がしたいのか、また自分の過去の経験の活かし方などを知ることができ、自分は法学部の中でも政治よりのところに行きたいと思った。また外国語は中国語を使いたかったので、受けられるところは限られていた。

 受験は名古屋大学から始まり、次に山形大学、最後が日本女子大学だった。名古屋大学は外国語2時間、次に小論文2時間だった。外国語は全訳2問(2ページ)と日本語を中国語に直す問題が5問(1ページ)だったが、全訳が最後まで訳せなかった。小論文は、文章からしてとても読みづらく、一番配点が高い、自分の意見を述べる部分においては白紙だった。もともと受かるとは思っていなかったが、とても悔しかった。山形大学は小論文と面接だった。小論文は読解問題が2問と、自分の意見を述べる問題が1問だった。山形大学の問題は熊谷先生の授業でやっていたので、比較的文章も読みやすく、名古屋大学と比べたらできはよかったと思うが、読解問題がうまくできなく、自分の意見を述べるところでも型が崩れてしまった。面接では、知識不足が目立ってしまった。さすがに2校失敗すると、先が見えなくなって不安になったが、へこんでいる時間がなかったので、次に進もうと思った。日本女子大学は例年傾向が似ているので、小論文は対策ができた。しかし、自分は何について研究したいのかが、あまり明確ではなかったので、とても戸惑った。レジュメが完成したのは試験開始3分前だった。日本女子大学は最初に外国語60分、次に小論文60分、最後にお昼を挟んで面接だった。この日は朝からお腹の調子が悪く、試験中に耐えられなくなったらどうしようという不安でいっぱいの中、外国語の試験が始まった。外国語は名古屋大学の対策以降手を付けていなかったが、すらすら解け10分前には書き終わっていた。小論文は、レジュメ通り書くことができた。面接では、自分のペースで面接でき、自分が伝えたかったことを伝えることができた。

 結果、国立は全滅し、日本女子大学は合格した。ここは、法学系ではないが、身の周りの問題から国際関係まで学べ、政治も学べるので、ここに進学することを決めた。名古屋大学と山形大学には合格することができなくて正直悔しい気持ちもあるが、もし受験していなかったら、日本女子大学の合格もなかったと思うので、後悔はしていない。また授業でも、最初D評価から始まった小論文が最終的にはA評価になった。

 中ゼミに通い、環境を最大限に活用したこと、また坂東先生と熊谷先生の授業、熊谷先生との面談は受験にとても役に立った。特に熊谷先生との面談がなければ、絶対に合格できなかった。2ヶ月ちょっと、中ゼミに通えて本当によかったです。合格した今でも中ゼミで勉強したいくらい、中ゼミが好きになりました。本当にありがとうございました。

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