「時間を、自分のために」

 「本当にマックがあるんだ!」中ゼミを訪れるために、高円寺駅に降りたときの第一印象は、そんなどうでもいいものであった。事前に、中ゼミの授業や自習が終わっても、終電ギリギリまでマックで勉強していたという受験体験記なるものを読んでいた私は、ここで本気になれる自分を想像してみたのである。そこまで頑張って、自分も希望の大学に合格したい! という一心で中ゼミの門を叩いた。

 環境を変えるのは簡単だけれど、自分が変わらなければ意味がない。そう考え、なんとか今の大学でがんばってみようと思っていたのが、中ゼミを知る2か月前。しかし、どう足掻いても、自分を変えられず、自分の適応力の無さを嘆き、大学の選択を後悔していた。編入という最後に残されたかのような選択肢を知ってはいたが、可能性の薄さを感じ、本気になって行動するまでに結局2ヶ月もの時間を要した。本気で編入試験を受けるのなら早く始めなければと思っていたものの、なかなか行動できなかった。そんなとき、図書館で中ゼミ出版の本を見つけ、ネットで調べ、慎重に吟味し、考えに考え抜いたあげく、電話で面談の予約を、恐る恐るとったのである。

 決断力、行動力、ポジティブ・シンキングが乏しい私にとって、人生の岐路に立ったかのような決断に足がすくみ、しかも金銭的な問題もあったため、迷いに迷ってしまった。結局、「人生は一度きりだから、自分の時間を自分のために使おう!」と思い、入学を決意したのである。

 とにもかくにも、私は希望の大学に入学したかった。これは高校時代からの目標であったが、指定校推薦というものに目がくらみ、どうせ自分が届くはずないし、本当にやりたいことを大学ですべきだ、と自分をだまし、某農大に入学した。しかし、蓋をあけてみれば、どれも似通ったような薄っぺらい名前負けした授業の質に唖然とし、いたたまれなくなったのである。今からでも、希望の大学に入学したいという気持と、真正面から向き合えるチャンスを、もう一度取り戻したいと必死であった。必死と書くと大げさな表現であると思うが、私の場合、死に至らないまでも、廃人あたりになってしまうのではという覚悟で勉強した。試験まで半年の時間があったため、大学での履修を必修科目だけにし、残りすべての時間を勉強に費やした。中ゼミが持つ中野寮(男子寮)で生活し、可能な日は、朝一で自習室に入り、終了後は近くのモスで深夜まで勉強した。あこがれたマック勉強もしてみたが、とてもうるさく勉強どころではなかったのが、残念である。

 1人でいると、自分への甘えがどうにも制御できないため、人がいる場所で常に勉強をしていた。その点、自習室は役に立った。たまに、これでもかといわんばかりに、鉛筆で音をたてながら勉強する人もいたが、そんなときや、気分を変えたいときは高円寺図書館に行った。今ではいい思い出だ。中ゼミでの授業は、実際に試験に出て、本当に助けられた。どの先生もこっちが本気なら、本気になって答えてくれる素晴らしい先生であった。多くの体験記に「千頭和先生」という御名前がよく登場する。私も、とてもとてもお世話になった。1つ1つの言葉が矢のように心に刺さり。その消化に何日もかかる。そんな授業。とくに試験が近づいたころの「受験は宝くじだと思え!」という言葉に刺激され、精神面で楽になれたと思う。この言葉がなかったら、今の自分を想像するのが間違いなく難しい。

 希望の大学へのおもいは、誰よりも強かったと自負できる。言葉に表せないとはこのことで、本当に入学したかった。こんなにも思っているのに、高校のときはなぜ、と思われるかもしれないが、当時は諦めたとしかいいようがない。だからこそ、中ゼミ時代にはこの諦めを取り返すことのできる環境をうれしく思ったし、いろんな意味で楽しめた。そのため、勉強に影響があるならと、希望の大学にしか願書を出さず、だめだったら、そのあとに間に合う大学を考えられたらいいな、という程度であった。

 試験科目に合わせて、生物、化学、英語を受講。特に化学は高校1年生以来だったため、ほんとうに、這ってでも! という気持で勉強した。粕谷先生に教えてもらった参考書を、なんとか愛読書にした。英語は自分のダメさを痛感し、正確に英文を読むという基本を学ぶことができた。生物が唯一癒される時間だった。

 もし合格したら、この体験記に自分は、どんなことを書こうかなと、現実逃避をしてみたり、息抜きに中ゼミの周りを散歩してみたりしたのを思い出す。とくにこの散歩は、年寄り臭いが、意外と効果があり、ここに書こうとしていたことの1つでもある。散歩は、近くの神社と公園がおすすめだ。

 さて、受験日が迫ってくると、面談でのアドバイスや励ましの言葉をエネルギー補給として使いながら生きていたようなものである。2週間前ぐらいになると、可能な範囲で大学を休み、自習室、散歩、モスをひたすら繰り返した。モスのメニューはほぼ熟知した。常に不安に煽られながら、勉強を進めていたと思う。このときには、参考書を何周かしていたので、復習をして、忘れ漏れを回収していた。化学に関しては、新しく難解なものに手を出すと自信がなくなるため、今まで自分ができた問題だけを確実にできるよう繰り返した。1週間前になると、なぜ自分は生きているの? などと哲学的なことを考え始め、道路を見ては、いっそ道路になれば楽になれるかもしれないと、本気で思っていた。かなりやばかったと思うが、勉強だけは、機械的に繰り返し、受験当日をむかえた。

 「思っていたよりも緊張していません、私」という自己暗示をかけ、根拠のない余裕を無理やり誘発し、席についた。化学は数日前にやった問題が出てラッキー、生物はマニアックな所をせめられギリギリ。英語は書くだけ書きなぐった(来年からTOEIC)。ただそれ以上に印象的だったのが受験環境で、隣の席の人がインド系留学生だったのである。昼休みに、異国情緒たっぷりのスパイシーな香りを漂わせながら、銀皿でカリーを食べ始めたのには驚いた。ガン見してしまった。本格的であった。こんなこともあって、比較的リラックスして試験を終え、次の日の面接に備えることができた。

 面接では、中ゼミにお世話になりつくしたと思う。志望理由書の作成から模擬面談まで、宍戸先生と粕谷先生に指導していただいた。1人では限界があったし、なによりも客観的で的確なアドバイスをもらえて、自分ってこういう人間なのか! と勉強になった。中ゼミに入ってから、何度か合格者と話す機会があり、面接対策は早めがいいと、わかってはいたが、勉強を優先してしまい、あまり多くを対策にあてられなかった。本当に早めがいいと思う。圧迫面接を予想し、本番は人間そのものを否定されてしまっても、自我を失わないようにしようと挑んだ。一部外国の方による英語での面接があり、笑顔と発音でごまかした。今振り返ってみると、面接で得点を稼いだようなものである。

 本命の試験後は、予想通り、まったくやる気がなくなった。合格発表までには1週間あったため、次の試験のことを考えて、なんとか高円寺図書館に通いつめ、勉強をした。精神汚染がひどかったのは、合格発表までで、本当に、ふらふらしながら生きていた。試験前よりつらかったと思う。

 農業実習で田植えをしながら見た、合格発表のホームページでは、自分の受験番号が、物理的に眼に飛び込んできた。新しい一歩をようやく踏み出すことができた瞬間だった。心臓のバクバクで死んでしまうかもしれない人の気持ちを味わったのは初めてだった。

 自分で書いていて思うが、文章にしてみると、かなり恥ずかしい。ただ、体験記を書くことができることは嬉しいし、この文章で少しでも、読者の息抜きや、判断の材料にしていただけたらこの上ない喜びである。

 私はよく、格言などの言葉が好きで、受験勉強中も息抜きに、ネットでさがしたりしていた。その中から、最後に1つ、好きなことばを贈りたいと思う。

 「努力はしょっちゅう裏切るけど、努力しなかったことは絶対に裏切らない。」だから努力してみるのもいいんじゃないかと思う。当たったら儲けもんじゃない?

タイトルとURLをコピーしました