努力すれば、必ず道は拓ける

私は明治大学の文学部文学科日本文学専攻に合格しました。中学から中高一貫校で、高三の秋までは一般大学受験を目指していたのですが、結局指定校推薦で短大へ入りました。だから、今まで受験は経験してきませんでした。

私が編入を決めたのは大学のゼミの先生に「もっと勉強したいでしょ、編入したほうがいいよ」と言われたことがきっかけでした。それまでは就職を考えていたのですが、やはり、私自身短大の2年間では深く研究することが出来ず、不満を感じていました。最終的には、1年生の1月に編入することを決め、ゼミの先生から予備校は中ゼミが一番良いと紹介してもらい、4月から通いはじめました。私は中ゼミの授業料と大学の受験費用を稼ぐためにバイト週2、中ゼミ週5の生活を8月まで送りました。大学へ行く前に早起きして勉強し、勿論電車の中でも勉強して、大学の授業がない空き時間には必ず図書館で勉強し、予備校の授業前後も勉強しました。8月は一番乗りで自習室へ行き、講習を受けた後、夜の9時過ぎまで自習室で勉強していました。中々学力が伸びず苦しかったけど、周りには仲間且つライバルがいたので負けず嫌いの私にはとても良い刺激をもらい、切磋琢磨して勉強に力が入りました。9月、10月は試験まであと少しということで、不安で不安で押し潰されそうになりました。また、夏のダメージや冷房症、ストレスによる神経性胃炎で苦しみました。母からは「もうやめよう、十分がんばったよ。体と勉強どっちが大事なの?」と何度も言われたことを覚えています。けど、絶対に編入するという気持ちは揺るぎませんでした。

11月からが辛い辛い過酷な日々でした。私のやりたいことが一番できる大学に自分の研究を笑われたこと。中ゼミの友達と受けた大学に私だけ一次が受からず、受かった友達と冷たい雨に濡れながら帰り道を歩き、駅で母親に電話して泣き崩れて立てなくなったこと。はかなくも第一志望に落ちたこと。一次は受かったけど二次で落とされたこと。結果、年内はすべて落ちました。中ゼミの友達はみな決まって喜んでいる中で、ついに私だけが決まらず取り残され、自習室にいる人が日に日に少なくなる中、毎日一人でお弁当を食べたことが本当に辛かったです。しかし、私は4つ落ちても締めませんでした。絶対に合格してやると再度決意し、ひたすら地元の図書館や家で勉強していました。

2月の試験を受け、又しても落ちてしまいましたが、「でも次がんばろう、最後までやろう」と気持ちを入れ替え、3月の試験に臨みました。そして、最後の最後に思ってもいなかった明治大学に受かり、泣き叫びました。合格したことが信じられず、受け入れるまで時間がかかりました。辛くても諦めずに努力したからこそ、勝利を勝ち取ることができたのだと思っています。最後まで成し遂げた人だけが最終的に笑うことができるのです。うさぎとかめ、私は、かめでした。中々学力が伸びずに、「なんで私だけこんなにできないのだろう」といつも思っていました。しかし、自分を信じて頑張るしかありません。今では自分はやれば出来るのだという自信にもつながりました。努力して頑張っていれば、必ず報われることがわかりました。

やっと終止符を打つことができました。いや、やっとやっとスタートラインにたつことができました。私は年内すべての大学に落ちていなかったら恐らく、明治大学には受からなかったと思います。落ちたことをバネにして打ち克つことができました。また、毎日お弁当を作ってくれて、予備校帰りの私を駅まで迎えにきてくれた両親の存在はとても大きいものでした。両親、予備校の先生、短大の先生、友達の支えがあったからこそ私はここまでこれました。ありがとうございました。

将来は大学院へと進み、世界に日本文学を発信する研究者になりたいと思っています。これからどんなに辛いことがあっても締めずに努力することをこの編入という試練で学びました。“努力すれば、必ず道は拓ける。”最後まで諦めずにがんばって下さい、応援しています。

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