勉強してきたことは無駄ではなかった

合格体験記を書いてようやく編入試験に合格したことを実感している。編入を決意した思いを私なりに書いていきたい。私自身、高校はそれなりの進学校で、三年間部活もなく、ただひたすら毎日センター試験、国立二次試験にむけて勉強する高校だった。高校三年間を捧げたにも関わらず、行きたい大学に受かることもできず、滑り止めも滑り、大学も決まらないまま東日本大震災に遭遇し、いろんな意味でどん底だった。三年間勉強しかしてこなかった私にとって、また、センター試験に向けてもう一年頑張る気力がなく、とりあえずセンター後期で受かった大学へ進学し、そこで勉強して頑張ろうと決意した。同じ大学には、私と同じように来たくて来たわけではなく、しょうがなく受かったから来た子が意外といた。そういう子たちと出会うなかで、編入すると決めて入学してきた子に出会い、そこで私は編入のこと、中ゼミのことを知った。最初は、部活にも入っていたため、編入に対して乗り気ではなかった。しかし、将来のこと、たった一度きりの大学生活のこと、高校の時のことをいろいろ考えたとき、このまま甘ったれた環境ですごしていいのかと思い編入を決意した。

中ゼミには一年の秋から次年度受験コースで入っていたが、ちゃんと勉強するようになったのは、二年の春からだ。私は通学時間が往復4時間もかかるため、電車のなかも有効活用した。一学期は、大学に通うこと、中ゼミでの授業を復習することで精いっぱいでそれ以上の勉強はあまりできなかった。一学期の授業が終わると夏期講習が始まるが、実は、私は夏休みの間、大学の友達が夏休みを満喫しているなか自分は何をしているのだろう、こんな気持ちでやって本当に受かるのだろうか、逃げてしまいたいと、自分のモチベーションが上がらず苦しんでいた。高校での失敗の原因を考えてみたとき、確かに勉強する環境(やらざるを得ない状況)はほぼ強制的に与えられていた。しかし、自発的に、絶対合格したい、受かりたい、あの大学に行きたいという気持ちがついてこなかったことを思い出した。志望大学に落ちた時、悔しいとか泣くとかそういう感情がいっさいなかったのだ。つまり、悔しくなるほど、泣きたくなるほど、一生懸命勉強していなかったんだと思った。そういうことを思い出し、夏休みの終わり、人よりはかなり遅いが、本気で勉強し始めた。まずは、受験大学の傾向を過去問から探り、受験日までの勉強ノルマを作成した。朝一時間早く起きて、大学の授業の前に自習室で勉強し、大学の授業が終わったら、速攻中ゼミに向かう。この生活を3か月続けた。基礎英文、添削の復習は7周くらいした。英文を見ただけで内容が頭に浮かぶほど音読したりもした。小論は、受験勉強していた間に、10冊くらいは読んだと思う。本を読むのは眠くなるし大嫌いだが、社会学の本は面白いと思った。自分の得意なパターンを何個か覚え、これがきたらこれ!というものを作った。(今振り返ると、こんな生活はきっともうできない。むしろ、したくないとも思うが…)

立教大学の受験は、手応えがないわけでもできなかったわけでもなかったが、まさか受かるとは思っていなく、掲示板で自分の受験番号を見つけたとき、本当に、本当に嬉しかった。この嬉しさは、一生懸命勉強してきたからだと思う。合格したことをお父さん、お母さんに伝えられたことも、本当に嬉しかった。勉強してきたことは無駄ではないし、頑張ることの大切さを知った。千頭和先生に、苦しいのは頑張っているから、そういう苦しさを味わうことができるのは頑張っている人だけだと言われたとき、そっかあ、この苦しさは頑張っている証拠なんだと感じた。本当の意味で頑張ることを知った。

二年まで通った大学に入ったことは後悔していない。むしろいろんな人と出会うことができたし、編入するきっかけにもなった。編入はみんなができることではない。私には母校が二つあること、ひとと違う経験ができたこと、やりたいことができたこと、社会学でいうなら、ケイパビリティの高さ、そんな環境に感謝だ。また、応援してくれた家族、親身になって勉強を教えてくれた先生方、中ゼミを通して出会った友達、ずっと応援してきてくれた大学の友達、支えてくれた人、本当にすべてに感謝だ。頑張るのはここから、スタートに立ったばかり。これからもがんばり続けたいと思う。本当にありがとうございました。

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