人生の値打ち

 当然のことであるが自分の行動から生じた結果は全て自分に帰する。特に、受験は結果と自分の行動の相関が強いという性格を持つ。そのため、人に言われことに従いに疑わず行動するということに強い違和感を覚える。他人の言動が自身に結果として降りかかるからである。しかし、人の言う通りに行動しないと素直でないと言われる。もちろん、他人が言った通りに行動することが最良の結果に結びつくこともある。他人の言動の背後にある考えに目を向け、理解しようとすることは結構な体力を使うし、体力を消費することなく最良の結果に結びつくと、コストパフォーマンスがいいように感じる。しかし、他人の言動の背後にある考えに目を向けなければ次に似たような事象に遭遇した時、最良の結果を導き出せる確率は低い。行動と結果の因果関係の相当性を理解するという視点を欠いているからである。何が言いたいかというと、他人が自身の利害に関係する何かしらのことに言及してきたとき、その言動や行動の背後にある考えに目を向ける必要があるということである。もし、その人の言動や行動が理解できなかった場合は、真意を聞きに行った方がいい。そして、特に理由がない場合や、だって普通そうだからと答える者の意見や行動は気にするべきではないし、裏付けのない言動や行動で他人の人生を左右させようとしているその人は正気でないだろう。自身の利害に関係する事柄に関心を持つことは当たり前のことで、それを問うことは素直であるように感じる。つまり、素直といいなりは違うのである。
 次に私の受験経歴に軽く触れたいと思う。私は中学受験、高校受験、大学受験を経験した。また大学受験の際、2年浪人しているため、編入試験で6度目の受験であった。勉強に対するモチベーションが上がったのは2浪目のときであった。結果としてどの大学にも受からなかったわけである。その後どうするか迷っている3月に編入試験というものを知った。そして通信制の短大に入学し、受験勉強をした。私は通信制の短大に通っていたため、普通の大学生のように同じ大学の大学生が遊んでいる中一人勉強するという状況になかった。故にそのような苦しみはわからないが、周りの友人が遊んでいる中勉強するという環境には常にあった。編入試験の勉強をしていると精神的に余裕がなくなることあるかもしれない。しかし、置かれている状況が違うのもたしかである。とくになにもしていない者が精神的に余裕を持っていて、自由そうに映るのはあたりまえである。何かに労力を割いている中精神的に余裕があるのであれば、中途半端にやっているか、めちゃくちゃ精神的に強いかのどちらかである。受験勉強中に精神的に追い詰められるという状態はきわめて正常なことだと思う。精神的に余裕を持てない状態で日々生活する機会など人生でそうないだろう。編入試験を受けようと考える者はマイノリティで全く希望通りでないし、大学に通うもその環境に満足する者が多数はである。一人孤独に編入試験の受験勉強をするのは精神的にも肉体的にも負担がかかる。編入試験をやめれば朱に交われば赤くなり過ごしやすい大学生活になるかもしれないが、その色も時期に褪せ物足りないものになるように思える。話は変わるが、私は編入試験の予備校生活において人生ではじめて成績上位にいることができた。正直英語も専門科目も特別苦労しなかった。今考えれば、英語の勉強、専門科目の勉強ともに興味をもって取り組めたからだと思う。人を好きになることは他人に価値を見出すという能力の一つであるし、趣味に興じることは特定の物事に価値を見出す能力であると思う。多様なことに興味を持つ能力を養えば、社会生活で何か結果を残すというハードルは低くなるのではないだろうかと20年ちょっとしか生きていないながら偉そうにかんがえている。
 最後に、人生は自己満である。いい大学に行くことや、大金を稼いで生活を豊かにすることによって幸福を感じるのは結局自分なのである。確かに、誰かのためにといった動機で行動する人も一定数いるし、それはそれで素晴らしいと思う。しかし、自身の行為が他人の幸福に寄与したという自己肯定感により自分自身が幸福を感じることも否定できるものではないだろう。特に、いい大学に行こうと考えるのは自己満の極みだと思う。そんなことを思いながら私は自己満のために勉強した。自己満のために勉強し受かると周りからそれなりに褒められるが、一番喜びを感じたのは自分が自分を認めた時であった。自己肯定感といったものに値段をつけることはできないし、同じ結果を出した者でも感じ方の程度の差はあれ、絶対に違う。そのため、何にどれだけの価値を感じるかはひとそれぞれである。掛け値なしの自分の人生にいかにまたどのようにそしてどれだけ価値を見出すかは自分次第であると思う。しかし、何が本当に大切かを見失わないことも大切だろう。よく命がけで何かに打ち込むということが美徳であるように思われるが、たかが命以外の何かに命を取られるならその何かはやめた方がいい。そして命なんかかけなくても編入試験は合格できる。中央ゼミナールは予備校にしては珍しくしっかりとしたサービスを提供し、個人に寄り添った予備校であると思った。そんな中央ゼミナールで主体的な姿勢をもって勉強できればおのずと結果はついてくるだろう。自分の自己満に付き合ってくれた中央ゼミナールには大変感謝している。そして、こんな拙い体験記を読んでくれた読者に感謝したい。

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