51歳での編入挑戦

<経緯>
 私が大学編入を決意したのは50歳の時である。同じ年の友人が上智の国際教養学部に3年次編入したのに刺激を受けて、フランス語を独学していた私は、どうせなら学位を取って勉強しようと思ったのが始まりである。
 日本では大抵の場合、大学生イコール18歳~20代前半を意味する。しかし、25年以上前にカナダのカレッジを卒業した私は、老いも若きも一緒に勉強する姿を見てきたので、この歳で大学生になることに抵抗はなかった。元来、他人からの視線や評価を余り気にしない性格も幸いしたと思う。この体験記が、私よりも数倍脳が若い現役生へのエールに、また、同年代で社会人入試・編入・院試に挑戦している同輩達への励みになれるなら幸いである。
 フランス語を極めるということで、最初は上智の外国学部を考えていた。しかし、大学院に進むことを前提とした編入である。そして非常勤の英語講師の仕事の関係で、通える大学は23区内限定であった。私は言語学をやりたいのではなく、フランス語の習得をしながらフランス文化や社会事情の勉強をしたかった。なので、外国語学部ではなく文学部に決めた。文学をやるわけではなく、文化コースという選択肢もあるからだ。そして、オープンキャンパスで文学部横断型プログラムというのを知り、文学部の中の英文、仏文、独文、哲学、史学、各科を超えての授業を修めることのできる新しい試みにも魅かれた。ただし、文学部仏文は過去問が公開されていない。外国語学部の仏文の過去問は公開されていたが、そんなに難しくはない印象を受けた。文学部も同程度ではと勝手に決めつけていた。
 <受験勉強>
 受験勉強に本格的に取り組み始めたのは8月の夏期講習からである。村川先生の授業を受けて、自分が仏検2級に合格はしていたが、入学レベルから程遠い所にいると悟った。先生は丁寧で解りやすい授業をしてくださって本当に感謝している。夏期講習が終わり秋学期が始まると日曜日の仏語講読講座を受講した。編入試験はディクテーションと仏文和訳の2科目だったので、中ゼミ以外ではアテネフランセのディクテーションと和訳のクラスをそれぞれ週に1クラス受講した。他にも中ゼミでは、願書と共に提出する入学志望理由書と編入後の研究計画書を指導して頂いた。
 <願書と試験>
 一番初めに青山学院があった。受験前に出願資格審査があるので、成績証明、卒業証と書式1枚、計3枚を送った。すぐに返事が来て不合格。いまだになぜ出願資格さえ与えられなかったのか不明。内部(青学短大)から既に編入が決まっていたのではないか?土俵入りさせてもらえなかったことでこの大学には不信感が芽生えた。
 実は、上智編入の志望理由書(400字)と研究計画書(800字)が結構大変だった。研究テーマを徹底的に絞り込んで、上智でなければならない理由を説得力のある論理で書かなければならなかった。加々美先生と中村先生が大変細かく指導してくださった。両先生のご指導なくして研究計画書は完成しなかった。この準備をしている途中で、「お茶の水女子大も受けてみてはどうか」との提案があった。時系列的には、10月初めにお茶大一次試験、10月末に上智願書締切、11月末に上智試験。
 お茶の水は全く視野に入れてなかったが調べてみると修士課程が充実していたのと、学費が上智よりお得になるので、俄然お茶大熱が高まった。しかも、昨年のお茶大編入合格者数の半数が中ゼミ生であったのも背中を押される結果になった。願書は、カナダのカレッジでのシラバス、卒業証明書、成績証明書、これらすべてに和訳をつけなければならなかったので、4日間しかない出願期間中に徹夜で40ページ近くにもなる書類を作りあげた。何せ、私がそのカレッジを卒業したのは25年、四半世紀以上前である。その頃のシラバスはオンラインではなく紙ベースなので、カナダからPDFで送信してもらったり、国際電話で事情を説明したり、時差や週末問題をクリアしてやっとの思いで無事に出願資格審査を通った。中ゼミ仏語講読の授業で、お茶大の過去問と解答を先生が下さった。「さすが国立だな、難易度高い。本番はできるだけミスを減らす方向で」と思い、頂いた過去問を徹底的に研究した。この頃にすべての緊張感と集中力を消耗したかもしれない。仕事をしながらもフランス語の単語ばかりが脳内を回っていた。お茶大受験は短期間で勝負に出たので、志望理由書や学業計画書は中ゼミで見てもらう時間がなく残念だった。
 ところが試験当日、蓋を開けてみると、過去問の難易度をはるかに下回る易しい出題であった。文教育学部言語文化学科フランス語圏文化コース志願者は6人で、採用枠はゼロか1。試験内容は仏文和訳と和文仏訳で、レベル的には仏検準2級程度。自己採点だが8割は取れていたかもしれない。受験を終えて、私は、「もしかしたら受かるかも」と一方的に思い込んだ。そして二次の面接のことばかりを考えていた。この頃の私は、上智熱がかなり低かった。お茶大の試験が予想外に簡単だったこと、青山では一顧だにされなかった後だけに、受験資格審査に通ったこと事体も妄想をかきたてた…しかし、不合格だった。
 お茶大が不合格になって、上智へと切り替えるのに時間がかかった。「あんなに簡単な問題で落ちるなんて。上智もダメに決まっている」という負のスパイラルにはまった。上智受験に向かいつつ、その後の学習院は、明治は、明治学院は、と、色々と調べなければならないのに、全くエンジンがかからない。
 この頃の煩悩は、上智がすべった場合に学習院、明治、明学の仏文に通う自分をイメトレしたことだった。全てが他人事のようだった。結局、11月末の上智の試験直前に、「上智に落ちたら来年お茶大と上智に再チャレンジする」と腹をくくり、他大学は出願しないことに決定した。村川先生には「OO受ける/受けない」で、毎週コロコロ意見を変えていて本当に迷惑をかけてしまった。現役生だったら「どこかに入らなければ」という選択肢に惑わされるだろう。しかし、こちらは半世紀生きてきた人間だから今年ダメでもあまり余生に関係がない。これは初老の挑戦の強みだろう。一度決めてしまってからはただひたすらにフランス語の勉強をすればよかったので精神的にラクだった。来年ダメだったら諦めようとも思っていた。純粋に好きなフランス語を勉強していたので楽しかった。英語講師の仕事をしていたのが良い気分転換になった。最悪英語講師の仕事を続けながら、これまで通り仏語独学に戻る道もアリだなと諦観、いや納得できていた。
<上智>
 お茶大は一次の筆記、二次の面接という段取り。上智は試験当日の午後に面接がある。私はこのことをすっかり誤解していて、お茶大と同じく一次試験通過者が二次の面接に進むと決めつけていた。上智の出願は受験日から遡って1か月前、お茶大受験後に書いたものである。試験当日は純粋に語学の試験だけだと思い込んでいて、研究計画書やら志望理由書の件はすっかり抜けていた。そして試験は恐ろしく難しかった。受験者は現役短大生と私の2名のみであった。
 フランス人の先生が読み上げる仏文の書き取り。内容が哲学的で、おそらく日本語で読んだとしても難解極まりない内容。全く手も足も出ない。「自己の投影と他者の目に映る自分との乖離、云々」みたいな内容だった。フランス語で映画を観ているほうがまだ理解できる。これは私の勝手な推測だが、仏検の1級レベルではないだろうか?続いて、今先生が読み上げたテクストを渡され、質問が2つ書いてあり、それについてフランス語で答えを論述するというもの。
 質問は①自分の中に子供はいるか?もしいるとしたら何故か?②それについてどう思うか?みたいな内容だったと記憶する。つまりディクテーションの内容を理解、咀嚼していなければ答えを書けないという内容だ。拙いフランス語のボキャブラリーで必死に用紙を埋めたことしか記憶にない。
 休憩があり、仏文和訳が1題。ある小説の中からの抜粋でそんなに難しくはなかったが、知らない単語がいくつかあったので大意はつかめたが細部で減点されていることは必定。和訳テストが終わり、午後1時から面接、と言われ、その時初めて面接のことを知った。一緒に受験した女子は、どこかの短大仏文科生で、本日面接があることを知っていた。というより、後に露見したが、入試要項に午前試験午後面接とあった。私はお茶大受験後に、その辺の情報確認が手抜きになっていたのだ。今も悔やまれる。
 面接があるとなったら研究計画書と志望理由書である。願書のコピーは手元にない。拙い記憶力を頼りにキーワードだけでも再生できるようにしておかなければ、スマホで必死に上智仏文、ゼミ、などの検索をして自分が研究したいテーマの先生を探した。姓だけはどうにか分かった。でも自分が書いた研究計画書の内容はうろ覚えであった。
 面接は、日本人教官3名、フランス人1名であった。まず、上智でなければならない理由を鋭く突っ込まれた。そして、先生方は私が書いた志望理由書を丹念に読んでおられたことが伺えた。おかげで質疑応答しながら、私は自分が書いた研究計画書を思い出すことができた。また、私はフランスの企業で働いた経歴があり、その期間のことについても質問があった。これは予想外に楽しい質問であった。そして、海外のカレッジからでフランス語単位の認定が足りない場合は、卒業に3年要する、つまり3年次編入扱いではあるが2年次編入と同じような扱いになるかもしれない、それに関してはどうか、と言われた。試験が全くできなかったこと、面接があることを失念していたこと、などで私はもう合格を逃したと完全に決めつけていた。「単位が足りないかもしれないのは想定範囲内、なので卒業に3年かかることは可能性として考えていた」と述べた。そして私の研究テーマの話になり、「このテーマではうちでは無理かもしれません」と、担当教授から言われたので、「あ、来るなってことか…」と思った。そのあと、もう一人の教官から「午前のテスト、この成績では…」と失笑された。完全に落ちたと思った。なら早く帰してくださいとも思った。「来年もまた挑戦しますから許してください」という心境。フランス人の先生からは簡単なQ&A。もう終わりだろうと思って帰る心境になっていたら、一番手厳しかった日本人の先生から追い打ちをかけるように、これまでのフランス語学習法と、もし編入することになったらどうやってフランス語を磨くか、などの質問を受けた。土下座するような思いで「独学と、アテネフランセで勉強しましたが、本日身の程を思い知りました。今日は泣きながら家路につきます。ですが、万が一、入学を許可されるようなことがありましたら、4月までに仏検1級程度の実力をつけてから入学したいと思います」と答えた。もう早く終わりにしてください。本当に私が悪うございました、という気持ち。先生の冷たい満足したような静かな微笑みが忘れられない。教室を出たときは1時間弱が過ぎていた。
 ところが合格したのである。合格通知と共に「あなたが卒業に要するのは3年です」との文言もあった。3年次編入ではあるが卒業に3年かかるのである。文学部はどこの大学でも凋落の傾向が強い。グローバリゼーションに伴い、英語や中国語に関連した、文学ではない地域研究や国際関係畑が人気の学部の昨今である。そんなご時勢なので、私のように「1970年代フランスの文化政策、ロシア人亡命ダンサーヌレエフを芸術監督に迎えたパリオペラ座、白鳥の湖再演出とヌレエフ版白鳥が次世代に遺したインパクト」の研究!と正面きって入学を熱望する人は少ないのではないか?合格の理由は熱意、それ以外は考えられない。今は上智に合格したことを感謝して受け止めている。次のゴールは院試なので、そのことをきちんと視野に入れながら学業を修めてゆく所存だ。 60歳までには修士を終えたいのだ。
<反省>
 まず受験情報の収集の着手が遅すぎた。中ゼミに入学したのが6月末で実質のスタートは7月最初の公開模試と8月の夏期講習だ。そして受験する大学をきちんと明確に決められずにぶれまくった。もし時間を戻せるなら、お茶大のオーキャンから始まり、お茶大を第一志望。上智滑り止め、ときちんと向き合えただろう。そして、お茶大が終わってからのメンタルの切り替えの下手さも反省している。お茶大が終わったその日から、上智をまっすぐに見つめなければならなかった。
 最後にフランス語の村川先生、入学前より相談にのっていただいた加々美先生、研究計画書を細かくご指導くださった中村先生に改めて御礼を申し上げます。次は院試(リベンジお茶大です)、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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