やれば何でもできる

髪を明るくすることと、他人より少し派手な洋服を着るのが好きなだけなのに、どこへ行っても馬鹿扱いされていた。高校生の時は、笑って無視していたが、年を重ねるにつれ皆から見た目だけで馬鹿扱いされるのが本当に嫌になった。このコンプレックスから抜け出すために、一年浪人した。大学の付属高校へ行っていたため高校の友達はみんな、すんなり大学生になれた。とても羨ましく思えた。コンプレックスから抜け出すために、付属校を蹴ったはずなのに、日を追うごとに自分の取った行動を後悔していった。不幸に不幸は続き、私は交通事故にあった。リハビリをしながら勉強したものの、結果は夜間大学のみ合格。これだったら、付属大学にそのまま進学した方が良かったと何人にも言われた。私はコンプレックスのかたまり人間となった。このままでは、いけないと思い夜間大学と同時に英語の専門学校に進学を決定した。いわゆる、Wスクール生活の始まりだった。
入学して、少しは自分に自信が持てると思っていたのに、現実はそう甘くはなかった。Wスクールをしていると言うと、応援してくれる人と、なぜそこまで学校にこだわるのかわからないと言う人がいた。私は、絶対にこいつらを見返してやろうと決意した時に中央ゼミナールを知った。Wスクールをしているから時間が足りないということを絶対に理由にしなかったので、とりあえず、中ゼミの授業代として、40万円を1年生の3月までにアルバイトで稼いだ。そして、プレ学期に経済、経営系小論文に入学した。プレ学期の終わりの頃、添削された小論文に面談を入れて欲しいと書かれていた。どうせ、春学期からの勧誘だろうと思いあまり期待をしないで面談へ行ったのとは裏腹に、私が今まで気が付かなかった長所と短所を指摘してくれた。私は、今までにここまで見た目と関係なしに自分のことを理解してくれる人がいなかったからとても嬉しかった。この時、中ゼミについていこうと決心した。

4月に入ってからは、専門学校、大学、アルバイト、中ゼミの授業という自分の時間が全く持てない日々が始まった。専門学校は大学に比べ、テストも課題も多かった。また、大学で単位を確実に取らなければいけないというプレッシャーもあった。とにかく私には他の受験生に比べ勉強する時間がなかった。でも、時間がないことを勉強できない理由には絶対しては何も変われないと思った。だから、大好きなファッションも化粧も全部我慢した。移動時間やちょっとした時間は全て勉強時間にあて、少しでも多く勉強できるようにし、授業の前は面談を入れた。このようにして何とか前期を乗り切った。

夏休みは、勝負の時だと思い私は自習室が開く前、8:30から高円寺のカフェで毎朝勉強することを決めた。最初は気が張っていたため定刻通り高円寺へ行けた。しかし、夏期総合科生だった私は授業が3コマ入っていた週はほとんど定刻通り行けなかった。自分が情けなかった。これでは、何も変われないと思い、自分に鞭を打って朝勉強を再開した。夏休みは友人からの誘いも全て断り、携帯も一日中、機内モードにするという勉強しかしない環境を無理やり自分で作った。

夏期講習明けすぐに名古屋を受けた。結果は不合格だったものの、名古屋を受けてから小論の評価が急激に上がった。先生が練習で受けてきなさいと何度も言っている意味がここでやっとわかった。そして10月は、関西大学を受けた。これは、私にミクロ、マクロの勉強が甘いと痛感させる試験だった。今、思えばこれらの試験は結果はともあれ、私を成長させてくれた試験であったが、当時は、どこも受からないのではないかという不安でいっぱいだった。関西の試験から、中央大学の試験まで2週間、死にものぐるいで勉強した。関西での反省からグラフや説明をただ見ながら勉強するのではなく、テキストに書かれている文章をノートに書き、確かめでテキストを見る形に変えた。すると、今までとは比べものにならないほどミクロ、マクロを理解できた。そして、得意の英語は実際の試験時間よりも10分短い50分で解く練習をした。

以上のようなプレ学期からの努力と運のおかげで私は、中央大学経済学部に合格した。私は、この半年間の経験から合格だけでなく、人間やれば何でもできるという自信を持てた。私のように見た目で判断される人間でも編入に合格し自信を持てたのだから、中ゼミのシステムを最大限に利用し、自分を信じ努力すればみんな合格への切符は手に入れられると思う。

最後になりますが、中ゼミの先生方ありがとうございました。

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