友だちの存在は大きかった

私は、大学受験で一浪したにもかかわらず、満足のいく結果を出せず、さらには中ゼミでも浪人するといった親不孝者です。受験を終えた今、何とか結果を出せたことにホッとしています。1年目は、総合科生としてお世話になり、昼は大学、夜は中ゼミの授業または自習室という生活で、はじめて学ぶミクロ・マクロや経営学にとまどいつつも、授業・テキストで学んだことを必死に身につけようとする毎日でした。しかし、自分なりに真面目に頑張ったものの、結局希望の大学には合格できませんでした。一番楽しいはずの大学生活を犠牲にしたにも関わらず、あっけなく敗北してしまった自分自身が滑稽で、情けなく、しばらくは自己嫌悪に陥る日々が続きました。
しかし、いつまでも落ち込んではいられません。将来について考えたり、周りの友人をみたりしているうちに、いつしか私は、“この編入試験を乗り越えられなければ、この先の多くの壁を乗り越えることはできない”、“ここまで失敗してきたのだから、成功するまでやってやる”と2年目にむけて自身を奮起させていました。こうして単科生として中ゼミ生活2年目に突入する、のですが、初っ端の特待生試験には落ち、大学の授業との両立で夏までまともに勉強できず、小論の添削で注意される始末。
さすがに焦りを感じた私はそこで、先生に常々指摘されていた“メンタル面の弱さ”について今一度考えてみることにしました。すると、今までの頑張りは、あくまでも“自分なり”のもので、自身を過大評価しており、相対化することができていないことに改めて気づかされました。私は、不器用で要領が悪いにも関わらず、完璧主義でカッコつけ、というなんともイタい奴(笑)で、年を重ねるごとに、そういった自分を見つめ直すことが難しくなっていました。こういったことを日常的に意識するようになってからは、自ずと勉強に対する姿勢も変わっていったように思います。
そして、9月の名古屋を皮切りに受験シーズンに突入しました。それからの数か月間は終始、いかに精神を強く保ち、自分を奮い立たせるかということとの戦いでした。あわよくばと思っていた名古屋に落ち、11月に受けた神戸では、情けなくも受験直後に不合格を確信しました。数日後に同志社の受験を控えていた私は、神戸から京都に向かう電車の中で放心状態でした…。そして、あとがなくなった私はホテルにこもって英単語やミクマクを必死に見直し、同志社の受験当日は本当に精神的に限界でした。ですから、合格をいただけた時は本当に嬉しく、ホッとしました。同志社の発表が5日後、と早かったおかげで、その後の受験生活にハリがでたように思います。ギリギリではありましたが、小論文も経済学も体にしみこんできたなと実感できるようになったのもこの頃でした。この約半年間、先生方のお言葉に一喜一憂し、友人たちの合格を嬉しく思う一方で、焦りと不安を感じる…。本当に疲れました(笑)。ただ、受験を終えた今、あれこれ思考をめぐらせても、結局行き着く先は、泥臭く勉強し、謙虚ながらも攻めの姿勢を忘れずに努力していくことなのだと感じていますし、それを身をもって経験することができたことに感謝しています。
また、2年間の編入受験を通して、家族はもちろんのこと、友人にも本当に助けられました。私は、今までは基本的に予備校では友人をつくらないタイプの人間でしたが、編入浪人するか悩んでいた時、自習室に行かなくなっていた時、もうどこにも合格できないと諦めかけていた時…いつも友人たちの存在が私の助けとなっていました。勉強の合間に一緒に食事するだけでも心が安らぎ、元気がでますし、話したことがなくても自習室でがんばっている仲間の姿は日々刺激を与えてくれます。そのような仲間においていかれたくないという気持ちも合格にむけた大きな原動力の一つになったと感じています。
中ゼミには、豊富な受験情報をはじめ、私たちを編入合格に近づけてくれる多くのツールがあります。全てが良質なのかというと人によって意見は異なりますが、少なくとも中ゼミに通って損をしたなどということはあり得ないと思います。私自身、中ゼミなしでは絶対に合格できなかったと思っています。せっかく貴重な時間とお金を費やすのですから、自己分析をし、うまく中ゼミを利用し尽くしてください。これまで、偉そうに書いてきましたが、私のような落ちこぼれでも、やる気次第で前進することができるのですから、後輩のみなさんにもぜひ合格を掴み取っていただきたいです。
最後に、この2年間、私を支えて下さった全ての人たちに感謝します。本当にありがとうございました

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