編入への道

3月初めに考え始めた信州大学への編入は、予備校に一任する、という形で自分の中の結論を出しました。編入実績をかんがみて、中央ゼミナールを選択し、個別指導の先生の言うことを聞いておけば、合格できるだろう、程度に考えていました。今思えばとんだ甘ちゃんです。とはいえ、なんとか編入へ1歩ずつですが進み始めました。
その後は遠山先生と4月初めの初顔合わせを経て、課題に取り組み始めました。その段階で、併願について聞かれたのは予想外でした。両親に「予備校いけば8割ぐらい受かる」と聞いていて、なめていました。信州大学は6月という特殊な試験時期なこともあり、四大生は受かりにくいと聞きました。地元出身者ならまだ可能性はあるということだったので、長野出身者であるが故、希望を捨てずに信大1本で勉強を始めました。そんなこんなで始まっただけに、一番最初に見て頂いた課題と、最終的に提出した課題を見比べると、98%ぐらい違うことを言っています。間違っているのではなく、言っている内容がそもそも違うのです。遠山先生に頼り切り、というか98%が遠山先生の文章と言っても過言ではありません。遠山先生には本当に感謝です。
しかし、6月頭の提出に残り2カ月で2%しかできていないのだから、当然忙しくなります。それはもう、うつ病と5月病と夏バテが一緒に来るぐらい、清々しく全ボツを受けました。そんなことを毎週繰り返していたので、残り2週間の時点で、方向性すら決まっていないというまさかの時点に陥っていました。完璧を求めるあまり、書き直しが続いた末に、「もうこれでいいか」な感じの流れで提出課題が完成しました。提出書類の中の「返信用封筒」を入れ忘れて、信大から電話が来たときは終わったと思いました。なんとでもなるものですね。その後、面接試験までわずか10日で、面接の練習も3回しかできませんでした。本番前4日間は練習すらできないという、ある種無謀な条件で長野へと向かいました。実質里帰りでしたが。
1年3か月前に一般受験をしていたうえ、編入説明会にも出ていたので場所自体は問題なかったのですが、日大とは全く違うキャンパスなので、その辺は何度来ても雰囲気負けしてしまっています。30分前集合だったので、45分前に行ったものの、それでも遅かったらしく、同じ時間に受験する4人の中では最後でした。待合室の雰囲気は、なんか重い。それにつきます。全員がスーツだったために就活の雰囲気が出ていたのかもしれません。
自分の番号が呼ばれ、待合室を出ると面接です。ある程度礼儀的な部分は最低限の常識の範囲内なら適当でいいと言われていたのですが、東京での寮生活の影響もあり、恐らく完璧にできたと思います。ある程度想定していた質問もあったものの、やはり緊張からか何度も詰まってしまいましたが、おおよその質問は無事に答えられたかと思います。いくつかの質問は困ってしまいましたが、上出来の範囲内でしょう。終わった後は充実感と共に、早く帰ってサッカー見たいという欲求が出て来て速攻で帰りました。
どんな審議が行われたかは知りませんが、終ってしまったあとの気持ちも楽なものでした。ダメ元で受験した、発表までわずか5日ということもありましたが、発表当日まで緊張もなく、淡々と過ごしていました。発表は15時速報。同日中に合格者に書類を送付ということだったので、心理学の講義を受けつつ携帯で確認しました。発表は結局25分遅れだったのですが、自分の番号を見つけた時は友人に怪訝な目で見られるぐらい、にやけていたそうです。心臓も高鳴りっぱなしでした。寮に帰って書類が届いてなかった時の方が心臓止まるかと思いました。結局翌日の夕方に確認しました。
多くは語れませんが、この経験は確実に長い人生において役に立ちます。そのサポートをしていただいた遠山先生並びに中央ゼミナール様には感謝したいと思います。

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