最小不幸社会?

最小不幸社会?

だいぶ前の話になりますが、
菅首相が言っていたセリフをふと思い出しました。
「最小不幸社会」
はじめ聞いた時には、
ベンサムの「最大多数の最大幸福」から考えたのかな、
不幸が最小になるのならまあ、いいか、ぐらいに思っていました。
しかし。
よくよく考えてみる何とも志の低い言葉です。
不幸、無くさないんだ。
存在することは甘んじて受入れて、
それを最小限に留めるだけなんだ。
幸福を高らかにうたうことがあまりに理想主義であり、
それからしたら不幸を最小限に留めるほうが、
現実的だと考えたのかもしれません。百歩譲って。
ですがその不幸の中身が今度は問題になってきます。
その不幸が「平等」かどうか。
些か矛盾のにおいがする表現ですが、
常に不幸を背負う人や職業や地域や年齢が決まっていて、
それ以外の人々はそれを見て最小限の不幸であると考える。
それはやはりおかしい。
宮崎での鳥インフルエンザ。新燃岳の噴火。日本海側の大雪。
自然と関わりながら地道に行ってきた努力の結果が、
どうしようもない災害によってあっという間に失われてしまう。
仕方の無いことではありますが、その後にどれだけの補償ができるのか。
救いの無い状況に憤りと、もどかしさを感じながら、
上のようなことを考えました。
本当に、大変です。
日本列島。
東京にいるとその辺鈍感になってしまいがちですが、いやあ、本当に。
NS

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