フェスティンガー

 土曜日のフェアは大盛況でした。すでに受験の準備に取りかかっている本校の学生に加え、これから心理学を勉強しようという人たちにも、刺激的な一日だったようです。
 かく言う私は、大学院で心理学(の一派)を研究しはじめてから10年が過ぎましたが、斬新な知見を披露した論文や本を目にして刺激を受け、心理学を学び始めた頃の新鮮な気分がよみがえることがたびたびあります。最近、新聞紙上の短いコラムを読んで、そのような気持ちになったことがありました。ネット上にもこの記事に言及した文章が散見されます。折角ですので以下に引用します。
「スタンフォードにいたとき、家が近い故もあって、レオン・フェスティンガーと家族ぐるみでしょっちゅう行き来していた。フェスティンガーは戦後、「認知的不協和理論」を掲げて彗星のようの現われた天才的な社会心理学者であった。
フェスティンガーはまたアメリカ陸軍のチーフサイコロジストとしての役割を果たしていたが、自らの理論が残酷な形で、ヴェトナムで応用されているのを知ったときの彼の苦悩はじつに痛ましいものがあった。 ケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン大統領がヴェトナム戦争に全面的に介入しはじめてからしばらくして、フェスティンガーはある日、スタンフォードのキャンパスから姿を消した。魅力的な奥さん、3人の子ども、数多くの友人たち、そしてスタープロフェッサーの地位をすべて捨てて私たちの視界から消えてしまったのである。 ヴェトナム戦争が終わって大分経(た)ってからのこと、日本に帰ってきた私の手もとに一通の手紙がフェスティンガーから届いた。彼は、ニューヨークのニュースクール・フォア・ソーシアルリサーチに一人の学生として入学し文化人類学を専攻した。若い女性と一緒になって新しい人生を歩んでいる。いまはそこで教授をしているという。それから何年か経って、フェスティンガーが亡くなったという報(しら)せを受け取った。彼のカフカ的転身は今でも私の心に重く残っている。(朝日新聞夕刊 2010年5月7日)」
 著者は、経済学者として世界的に名高い宇沢弘文氏です。
 認知的不協和理論は、心理学はもとより、社会学を学ぶ学生なら知っていなければならない重要な理論ですね。でも、あのフェスティンガーの生涯については、あまり知られていなかったのではないでしょうか(恥ずかしながら私は知りませんでした)。
 戦争と学問、学問と人生などについて、いろいろ考えさせられるエピソードでした。たぶん、今後、認知的不協和理論を使って考えたり、講義で触れるときには、この記事のことを想起すると思います。 福来悶

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