1週間遅れます

1週間遅れます

こんにちはバラックです。
地震以降自分も世間もバタバタと落ち着かなく、あっという間に3月も終わりを迎えようとしていることにとにもかくにも驚きです。
福島原発がなかなか落ち着かず、枝野さんだけでなく原子力保安院のあの方の顔を見るのもすっかり毎日の日課となってしまいました。私はなぜかこの人の説明は安心して聞くことができます。おそらくそれはいいニュースの時とよろしくないニュースの時の目元が異なるからでしょうか。
それにしても当初は今日の放射線の量をニュースでチェックする、そんな日が現実にやってくるとは夢にも思いませんでしたが、原発の問題が起きた当初よりもだいぶ落ち着いて受け止められるようになってきた、そんな気もします。もちろん避難されている方や風評被害に直面している茨城や福島の方にしてみれば、そんな悠長なことはいっていられないわけです。目の前の現実としてあるわけですからね。
私も当初は放射能という言葉だけで拒否反応を示すようなびびりっぷりでした。それはおそらく小学生の時に受けた原爆反対教育の賜物だと思います。
しかし冷静に理屈で考えるとそれほど怖がる必要はないんですよね。怖いと思うことと、怖がることはまったく別のもので、怖がるというのはいたずらに恐怖や不安を膨らませ、不確かな情報に振り回されてしまう、現実に悪い効果をもたらしてしまうものです。
知り合いの人にその人の地区の水道はどうかたずねたら「僕は放射能をお化けのようなものだと思っている。だから怖くない。ノーガード戦法でいきます」と返事が来ました。
大事なのは彼のいっている内容ではなくこうしたスタンスですよね。
「放射能は危ない!今すぐ東京から逃げろ!日本から離れろ!」と騒ぐ人もいました。そういう人は本人の恐怖や不安を回りに撒き散らし、周りの人にもそうした不安や恐怖も伝染します。
でも「怖くない」「怖いけど・・・・なのだから大丈夫、怖がる必要ない」と説得的に語れる人の話しを聞くと、不思議なことにそうした落ち着きもまた伝染します。
私の地元は山形で東京よりもだいぶ福島に近いのですが、山形の人は「山があるから大丈夫」と妙な自信を持っています。よくよく考えるとそれもどうかという話ではあるのですが、それでもそうした落ち着きや自信(?)はいたずらな不安を掻き立てない碇の役割を果たしているのではないか、とも。
また知り合いのリトアニア人の科学者がメールをくれ、こんなことを言ってました。
「このことが君たち日本人の不安を和らげられるかわからないけど、僕は昔チェルノブイリのクリーンアップ作業に参加したよ。妻もその時妊娠してたけど、僕も妻もなんともないよ」と。
海外メディアの多くはいたずらに不安や恐怖をあおるだけのものだっただけに、こういう言葉はまたもう一つの碇となってくれました。
さて、こんな時期ですから皆さんもたくさん不安を抱えてしまうと思います。でも何か一つ自分なりの碇を見つけて、しっかりと現実に足をつけておくようにしてください。そしてこれは編入でも一緒なのですよ。不安は勝手に暴走します。自分を現実から引き離してしまいます。でも自分を現実に留めておく碇があれば、不安を抱えながらもその不安で心を折ることもなく、しっかり勉強を続けることができるのです。しかも受験の時は不思議とその勉強をするという行為それ自体が碇となったりします。何だ、結局は勉強しろと言うことか。
と今回は多少ばかり説教くさい雰囲気になってしまいましたが、本来すべきであった話はここからです。
中ゼミのHPにもお知らせが載っていると思いますが、今回の震災を受け、中ゼミでは授業開始を1週間ほど遅らせることにしました。その代わり入学された方向けに当初社会学系の授業をする予定だった時間をつかってガイダンスや社会学早わかり講座、合格者との座談会などを計画しております。ですから皆さん安心して入学してくださいね。このあたりの詳細は決定し次第ここでもアップしていきますので、チェックして下さいね。

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