梅雨に①.

梅雨に①.

こんにちは、赤い実です。
梅雨に入り、湿気との戦いの日々が開始しました。
皆さんの中には髪の毛の変化で湿度を感じる人も少なくないでしょう。
それが実用化されているのを知っていますか?
実際の人毛を使用して湿度計にしているのです。
黒髪より金髪のほうが繊細で敏感に反応するため、
この湿度計には金髪が向いているそうです。
そんな雨の季節ではありますが、
この時期に運動会や修学旅行を実施する学校が結構あります。
人によってそういう学校の行事がわずらわしかった人もいれば、
楽しみだった人もいるでしょう。
思い出すたび、苦味・甘味がよみがえることも。
とにもかくにも、学校という場は誰でも必ず人生で関わるところであり、
そこは子どもにとって安全で快適で、
誇りを持って生きる大人がいる場所であってほしいものです。
学校で実践されるものは当然教育です。
その教育の質が今以上に脅かされる事態が、
複数進行しています。
1つは震災と原発による影響。
もう一つが大阪でできた「君が代」条例です。
今日の焦点は後者。
この問題は大阪だけでなく東京でも様々な形で問題となっていることです。
そこでは「愛国心」の問題や「憲法」、
「君が代」や国旗に対する解釈の問題が相互に絡み合っています。
それぞれについて自分の意見を主張し、賛成か反対かを論ずることもできますが、
今日はそこからちょっとだけ外れて考えてみたいと思います。
ポイントは「強制される」という点です。
もちろん、憲法の自由権や基本的人権と無関係ではいられませんが、
極力それらの言葉は使用しないで書いてみます。
それは言い換えれば「当たり前の崩壊」ということ。
何かをする時、それが自分にとって「したいこと」であり、
誰かや何かをを「傷つけない」のであれば、
それは当たり前にできるはずです。
例えば着たい服を着る、食べたい店を選ぶ、読みたい本を買う・・・
無数にあります。
そこにはもちろん「したくないことをしない」ことも含まれます。
逆に考えていきます。
君が代を起立して歌わないことで何を傷つけるのでしょう?
もしあるとすればその傷は誰が・何が、
どんな風に被るのでしょう?
続きは次回に回します。

コメントは受け付けていません。