春に。

春に。

去る6日は二十四節気でいうところの「啓蟄」でした。
土の中の虫が地上に出てくる時期を指し、
同時にそれは春の到来も意味しているそうです。
実際に虫が地上に出てくるのはもう少し先だそうですが、
春が近づいていることに違いはありません。
それぞれにとっての「春」が訪れることを願って止みません。
春と言えば心機一転、何かを新たに始める季節でもあります。
学生の頃は、進学や進級など自ずとそのきっかけはやってきますが、
年を重ねるごとにそのチャンスは減り、自分で作り出すしかなくなってきます。
そのため、その内容は非常に個人的で内向きのことが多くなります。
「このままでもいいけれど、このままでいいのか?」
こんな、自分への問いかけをきっかけに、
生き方や生きる意味を考えることも少なくないでしょう。
ヴィクトール・E・フランクルという人がいます。
詳しくは調べてくださいということにしますが、
この人の言葉は極限状態を経験した人間ならではの重さを持っています。
 人の心が充たされるのは、
 自分や自分の幸福のことを忘れ去り自分にとって意味のある何かに取り組んでいるとき、
 または自分のことを必要としてくれる「何か」や「誰か」のために何かができるとき
 ・・・人間の心はそのようにできている。
何回か繰り返してみないとちゃんと理解できないかもしれない
(本当の意味で理解できているのかは結局のところ不明ですが)
言い回しではありますが、
自分の生き方を考える際に避けては通れないポイントをついています。
そしてシンプルに生き方を考えていくと、
結局は新たな課題に向き合うことになります。
自分がどう生きるかを考えてみる
→「生きるとはどういうことか」を考える
 →「生き方を選ぶとはどういうことか」を考える
→「生き方を選べる人と選べない人がなぜ生まれるのか」という問い
もちろん枝葉はもっといろんな方向に、
いろんな形に広がっていきます。
社会に潜在する無数の問題を解決する最初の一端を、
つかむことで新たな春は始まります。
NS

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