大きさの変わる人間。

大きさの変わる人間。

こんにちは、そして久しぶりです。赤い実です。

暑いですね。5月ってこんなんでしたっけ?

 

4月から開始された授業も、

間もなく折り返しです。

本当に早い。

でも、これからだからお得なことがあります。

5月28日以降ご入学の場合、

総合コースであれば、入学金がなんと全額免除となります!!

単科でも一部減免になります。

少しでもみなさんが勉強を始めるための壁を下げることができればと思っています。

また、6月8日(土)に進学フェアというイベントがあります。

都内を中心に、いろいろな大学関係者の方がいらっしゃって、話を聞くことができます。

また、いつものように合格者の話も聞くことができます。

過去問や大学の案内なども見ていただける貴重な機会でもあります。

予約などは特に必要はありません。お気軽に足を運んでください。

 

さて、

世の中腹立たしいことばかりで、

恥知らずばかりが表に出ています、

が、

とりあえず冷静にソフトに話を始めてみたいと思います。

最近、いや、昔から思っていたことなのですが、

人の大きさって変わりますよね。

・・・・・・いや、成長するという意味ではないですよ。

一例をあげると、

私はこれまで、幼稚園児から高校生まで、結構な年齢層の人たちの教育に関わる仕事をしてきましたが、

彼らと一般的に時間を過ごす場所、つまり、学校や何らかの教室での彼らの「大きさ」と、

外で偶然出会った時の「大きさ」は全然違うと思うのです。たとえ同じ日であっても。

もちろんこれは私からの「見え方」の問題であり、実際に大きさは変わっていません。

でも、ぱっと見た瞬間思うんですね、「ああ、こんなに小さかったんだ」と。

大きく見える時もあります。でも大概はいつもより「小さく」見えるのです。

そんな経験が続くと、当然「なぜか」を考えてみたくなります。

そしてたどり着いた一つの仮説が、

彼らが「誰といるか」で変わるのではないか

ということです。

例えば、学校などで私たちが接する彼らは、ほぼ間違いなく同世代の友人たちといるわけです。

そうするとそこで生じる人間関係に影響を受けたあり方でそこに存在するわけですね。

それに対して、外で会う場合の彼らは家族など同級生ではない人々といることがほとんどなわけで、

したがって彼らが組み込まれている関係性も違ってくるわけです。

つまり、

一生懸命自分というものを主張し、対等にあろうとする場=学校や教室での彼らにくらべ、

どちらかといえば競争や緊張とは無縁の場=家族の中での彼らの方が、「小さく」見えているわけですね。

そう考えた時に、もう一つ合点がいくことがありました。

外で出あう彼らが小さく見えるとき、なぜか私には安堵感が湧くことが多かったのですが、

それはきっと、彼らに安らげる場所があることに対する安堵感だったんですね。

 

このようにして、

関係性の中で変化する人間のありようを研究できるのも、

社会学のだいご味です。

興味のある方は是非。

 

中ゼミにも蚊が出てきました。

このブログを書いている間に6か所刺されました・・・はあ。

 

 

 

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