社会問題の犯人。

社会問題の犯人。

こんにちは、赤い実です。

ようやく気温が上がってきて、

馬鹿みたいに冷える私も生きやすくなってきました。

でも、調子に乗ってすぐ冷房を入れる電車は信じられない!!

こんな時期から使ってて節電も何もないだろっ・・・っていうね。

服装で工夫を、という季節にしましょう、春は、特に。

 

前置きが長くなりました。

中ゼミは明日で開講一週間。

今日の授業で全ての授業が開始することになります。

でも!!

まだまだ入学は大丈夫です。

日曜日の説明会もまだ開催しています。

説明会は編入試験や大学院試験について全般的な話をしています。

ですので、まずは情報収集を、という感覚で来ていただければと思います。

 

さてさて。

少子化は社会学系の学部学科でも出題されやすい問題です。

そして社会学的にはジェンダーバイアスや

新たなコミュニティのあり方からその解決の方向性を見出していくことが多いわけですが、

最近、そういう社会学のアプローチの方法から離れて、

完全に自分勝手に考えていることがあるのですが・・・。

 

社会学で考察するような社会環境的な要因によって子どもを持つという選択肢を失った場合、

子どもという存在を介して生まれるつながりや価値観も影響を受けると思うんですよね。

もちろん、子どもを持つことが何よりも大切だということを言ってるのではありません。

ただ、子どもを持てないことは持てないことそのもの以上に、

さまざまなものを滞らせると思うのです。

そしてそれは作戦ではないかと、過激に思ったりするわけです。

それはつまり・・・

 

子どもを持ちにくい雇用や賃金システムを作る→子どもを産まない現役世代を増やす

→つながりを喪失させ、重要な価値観をあいまいにさせ、さまざまな次元での分断を図る

→自分のことで精一杯の状況を生み出す

→知らぬ間に人々にとって重要な取り決め(社会福祉的なものとか)をしれっと決めちゃう

→さらに子どもを持ちにくい社会にする

・・・ということでね、ほら、全てつながってくるんですよ。

強引かもしれません。

でも、一人一人の人間が大切にされるという国のあり方が

史上まれに見るほど激しく軽視されていることは間違いなく、

よくよく考えてみると、今ある社会問題はすべて、そういう構造を内包していると思います。

 

ああ、長い。

でも、現代を生きる人間には大切な視点だと思います。

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