桜。

桜。

こんにちは、赤い実です。
年度も変わったし、HNを変えようかな、という思いもあるのですが、
なかなかこれといっていいものが思いつかないので、
しばらくはこのままでいきます。
17日の進学ナビへご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
私たちスタッフからの話はともかく、
大勢の先輩方の姿を見て気持ちがより前向きになった人も少なくなかったのではないでしょうか。
中ゼミはあくまで目標の場所に辿り着くための「通過点」でしかありません。
そのような場所で出会うメンバーは多かれ少なかれ辛い気持ちを抱えています。
そしてそこで共に戦った経験や記憶は、
その後の人生においてもプラスに作用することが多いようです。
もちろん、一人で黙々と頑張る人もいます。
どちらがいいとは言えませんが、いずれにしても、
この学校に満ちている緊張感が、
きっとみなさんの背中を押してくれることになると思います。
とにかく、
一歩踏み出してみないと、わからない。
興味を持った方はどんどん説明会や無料の個別相談に参加してみてくださいね。
ちなみに、個別相談は予約したほうが無駄がありませんよ(03-3316-9595)。
さて、桜が満開だそうです。
日程的に今年は花見ができる気がしない。
そもそもなんでみんな花見をしたいんでしょうね。
しかも桜だけ。
これは批判的に言っているわけではなくて、
私も含め不思議だな、と思っているわけです。
「日本における桜観」というのは社会学的にもテーマになりやすい。
ナショナリズムや「大きな物語」の一つの側面として。
古典の中でも「桜」はやはり特別扱いですね。
小野小町や在原業平などの短歌などからはそれがよくわかります。
これらの世界で注目される桜に共通しているのは
「散る」ことが重視されていることです。
そうでなくても「満開」そのものに目を向けることは少ない。
冬を越える花芽や、「満開」の短さなんかが中心になりやすいわけです。
たえしのび、つかのまの盛りをすぎれば、はらはらと散っていくのみ
こう書くと、見事になんだか「大和魂」的でちょっと身震いします。
もちろん、自らの生き方としてこのようなあり方を選ぶことは構いません。
でも、現実にはそのような生き方を強制されて悲劇が繰り返されています。
戦争がその最たるものだと言えますが、
現代の社会保障システムもそれに通ずるところがあります。
頼らず、自助を大事に、迷惑をかけずにさくっと死にましょう、と。
救いのない社会です。
その社会で絶望してしまわないためにも、
学ぶことは重要です。
特に、社会学を。
世界を見ましょう。
広く。
深く。
・・・とはいえこんなことをぐるぐる考えていても
桜は毎年気になってしまうんですねー、これが。
この割り切れない、説明しきれない人間の感情は、
本当に興味深いものです。

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