燃え上がる

燃え上がる

こんにちは。いまだアナクロ世代のバラックです。先日ブラウン管型のテレビデオがついに壊れました。
ある言葉が比ゆ的な使われ方をしてしまったことで、もともと持っていた意味とは別のその比ゆ的な意味の方が強調されてしまうということはまま起こりえます。
例えば「炎上」
私なんかは炎上というと「吉原炎上」だとか、火事ですかなどと思ってみたりするのですが、おそらく現在のネット世代の皆さんはブログや掲示板などで批判コメントが殺到するという状況としての「炎上」を連想されるのではないでしょうか。
そして炎上とかネット上での個人攻撃だとか、たまにSNSや掲示板などで目にしても、私にとっては全く他人事、よその世界の出来事で、まあそんな社会現象もあるよなあ、などとどこか距離をとって眺めている程度のことだったんですが、先日私の間接的な知り合いの方がネット上で大変なバッシングにあっていました。
その人のツイッター上のつぶやきやブログをいちいちコピペして、皆でバカにしてるんですね。もちろんバカにしている方は匿名です。有名人相手ならまだしもなぜ一般人が、とちょっとびっくりしたんですが、反対にただの一般人のネット上での発言がここまで多くの人を引き付けるなんてそれはそれですごいとも思ってみたり。
ネット上に何かを発信するというのは、見知らぬ多くの他人に対して自分の発言に責任を持たなくてはならないということなのだな、と身を引き締める思いであったと同時に(ここでも気を付けて書かないと・・・)、あらためてネットのネットたる所以がわかった気がします。
それにしてもなぜこの人の発言他がここまでとりあげられるのだろうか、というのもまた疑問です。こうした一種の流言について、オルポートとポストマンは「流言の量は問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する」という定式を掲げました。
確かに流言やデマを考えたとき、この公式は納得のいくものだと思います。しかしこの例のようにただの一個人の発言はそれほど重要な問題でしょうか・・・と考えたとき、一見問題としては重要じゃないけれども、「変」であるということ、あるいは「変」であることを見出すことはわりと大きな問題なのではないか、というような考えにたどりつきます。
確かに学校やクラスといった集団には周囲から浮く人、浮きすぎて「変な人」と皆が注目し、くすくす笑われ、話のネタになる。一つ一つの動作や発言がいちいち取り上げられ、それを皆で共有し「おかしい」という。
そういうことは多々生じます。
自分が変なものを変だといいたいのは、自分が変だと思う基準がひょっとするとまちがっているかもしれない、だから自分が変だと思うものを他の人も変だといえば、変なものを変だという自分の基準は変ではなく、変だといわれる対象が変だということが確認されるわけです。それでひとまず安心。といったようなことがあるのかもしれません。
そして今回の件をはじめとしたそのほか多くのネットでのバッシングは、この学校とかクラスといった集団がネット上のサイトを見ている人に拡大されている、書き込んだり閲覧したりしている人は、自分の「変だ」判断基準があっているかどうかを確認しているのではないか、とも思えます。勝手な見解ですが。
最近たまにテレビで「これは常識か否か」といった状況を皆で常識か否か判定し合う、といった趣向のものが見られます。基準、スタンダードは共有されていて当然なのに、共有されていないかもしれない。そう思っているのは自分だけかもしれない。というような気持ちがあるのでしょうか。いや反対に、これは絶対常識なのに、共有していない「常識はずれ」な人がいる。それはその人がおかしいからだ、ということを確証したいのかもしれません。
そんな風に「変さがし」をしながらも、その「変」は他者と共有されうる「変」でなくてはならない、「変」を「変」であると他者と確認し合わないと「変」だと言い切れない、現代はそんな社会になっているのかもしれません。これまで共有されていた確固たる判断基準がなくなってしまったリキッドモダニティ、とも見えますが、現代などは関係なく、文化の中に産み落とされる人間としてその文化の枠組みをそういった形で確認したいのかもしれません。
いずれにせよ最初にあげた人の例は、こういった「変さがし文化」のいい例なのでしょう。
ただ個人的に、お互いがお互いを傷つけあって憎悪の連鎖を築くコミュニケーションはあまり好ましくないとは思います・・・
まあ私個人の見解はさておき、ウェブ論や炎上などに興味がある人は社会学者がいろいろ書いていますから眺めてみるのも楽しいかもしれません。荻上チキさんの『ウェブ炎上』という新書はとっつきやすくてわかりやすいですよ。興味がある方はぜひ。
さて今日から高円寺阿波踊りです。中ゼミの外はずっとにぎやかで、中でこんなことを書いているのがもったいないくらいうずうずウキウキ・・・・というのは嘘で混む電車がいやで一刻も早く帰りたいお年頃。

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