基準値

基準値

かにかくに渋民村は恋しけり思い出の川思い出の山
という石川啄木の歌があります。「働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」の方も現代社会のワーキングプアだの派遣切りだの非正規雇用問題だのを彷彿とさせられてぐっと来るのですが、こちらの「かにかくに」は「ふるさと」大好きな日本人の郷愁に激しく訴えかけるのではないかと思います。日本人は「ふるさと」が大好きですよね。自分の故郷そのもののことではなく、思い出すべき場所、帰るべき場所、自分のルーツといったイメージとしてのふるさとですが
「うさぎおいしかの川」(おいしは追いしであって美味しいではないですよ)の歌だとか、遠きにありて思うものだとか、ふるさと納税だとか、錦を飾ってみたりだとか
こんな「ふるさと」も今や震災の影響で二度と戻れなくなる場所になってしまうかもしれない・・・といった不安が渦巻いている、というのが今回の「基準値」というタイトルであるという話ではありません。全く関係ありません。このふるさとの話は昨日うっかり寝る前に啄木を読んでしまって無性に悲しい気持ちになったというここだけの秘密の話です
で、今回のこの基準値という話はいったい何の話かというと、「美の基準」についてです。おお、何かぐっときますね。志望理由書シーズンということで、色々な面白いテーマでも書いてみようという趣向です。
志望理由書の研究テーマを決める上でやはりジェンダーは人気のテーマですが、ジェンダーだけではテーマになりません。ぐっとジェンダーに引きつけた何か別のテーマを掘り下げてあげる必要があるわけです。
そしてジェンダーの中でも女性ネタは女子学生の皆さんに人気なので、女性とよくセットで扱われる「美」というものを取り上げてみたいと思います。
ちなみに去年の合格者の方で、この美をテーマに選んだ方がいました。つまり、どうして女性は美と結びつけられるのか、という問いに取り組むというものなんですね。興味深い。確かに不思議じゃありませんか。どうして女性と美はワンセットになるのだろうか。なぜ女性は美というものを目指すべきなのか、女性をはかる基準として美が与えられるのはなぜなのか。
疑問ですよね。彼女にはぜひ彼女なりの答えを見つけてもらいたいと思います。
ここではもう一つ別の視点を。
美の基準とは何なのか。これはわりと永遠のテーマですよね。皆さんもこれまでよく耳にしたのではないでしょうか。平安時代の美人は今と違って、下ぶくれの顔に細くて切れ長の目といった、今で言う「おかめ顔」が美人だった。(いやでも今もこういう顔で美人はいると思うんですが)
アフリカの一部や南太平洋の島では太った人が美人だ。
あるいは首が長い方が美人だというので首輪を何重にもつけて首を長くしたり、足が小さい方が美人だからと纏足をしたり(昔の中国では足が小さい方がいいというので、子どもの頃から足を布でぐるぐる巻きにして足の成長を止めたんですね。相当痛かったらしいです)、胴体が細い方がいいというのでコルセットで内蔵が変形するくらいまでウェストを締めたり(マリー・アントワネットの胴体を見てください!今だったら奇形ですよ)
というように美の基準は時代や地域によって実に様々なんですね。
そうしてその美を求めるエネルギーというのはなかなかすさまじいものがあって、ここで挙げたような身体変工も実に多くのバリエーションが実に多くの文化で存在していました。現代だって欧米や日本、韓国などでは美容整形という一種の身体変工をしています。
ただ、そんな風に美には色々な基準がある、求める美は文化・社会、あるいは時代によって異なり、一つの基準値ではかることはできない(皆さんこの考え方に覚えはないですか。そう文化相対主義です。cultural relativism!)にもかかわらず、
美の基準の画一化というようなものも起きているように思えます。
ユニバーサルな美の基準の登場とでもいうような。
たとえばミスユニバースやミスワールドを見てください。世界各国、様々な女性が集まっているのに、参加者は皆似た容姿ではありませんか?
髪や肌、瞳の色は異なるのに、スタイル、笑顔、歯の白さ、輪郭や顔のバランスは見事に同じタイプです。基準値オーバーの人はなぜかいません。ユニバースのはずなのに!
一つ考えられるのが、その基準が欧米基準であるというものです。欧米の美人の基準が世界に広まっている、グローバル化でいうところの欧米化、あるいはアメリカ化とでもいえるでしょうか。グローバル化は価値観の画一化までもたらしたのでしょうか。
それとも別の考えも成り立ちます。あれはアメリカ化や欧米化といったものではなく、新しい美の基準、それこそユニバーサルな美の統一基準ができあがってきているのだ、と。
それがどちらかなのかはわかりません。しかもおそらくミスユニバースなどが始まってからの歴史を見てみたら、歴代のミスの人達の容姿はおそらく時代によって異なるでしょう。じゃあそれぞれの時代の基準はどんなもので、それがその当時の国際情勢とどういった関係があったのか。今の美の基準というのは一体何なのか。
こんな問いを追究していくのはなかなか楽しそうですよね。
そんなわけで女子大狙いの皆さん、美しさに興味がある人はこんなテーマもいかがですか。もちろん男性の方でもいいですが

コメントは受け付けていません。