大人の事情。

大人の事情。

ご無沙汰しておりました、赤い実です。
うかうかしている間に梅雨も明け、夏本番ですね。
中央ゼミナールでも夏期講習開始まで2週間あまり、
みなさんの顔にも新たな緊張感が見えます。
それと同時に、疲れや精神的な落ち込みも少なからず出てきているようです。
節電と猛暑のありがたくないセットのために、
自分で自覚している以上に体力は消耗し、
そのせいで思考力の低下も起きているはずです。
誰にも平等に与えられている(はず)の24時間を上手に使うためには、
「優先順位」
がポイントです。
むやみに焦って何も手につかないと言う状況に陥らないよう、
今とこれから
何をどういう順番で
すべきかを整理してみましょう。
悩んだら相談に来てください。
さて、最近よく頭に浮かぶワードが
「大人の事情」
です。
かなり市民権を得ているこの言葉ですが、
そもそもは子どもに知らなくてもいい情報を明かすことなく、
特定の行動をとらせるために用いられたものであったはずです(あくまで私見)。
それがテレビ業界を中心とした業界用語となり、広範囲に広まることになったー。
そこまでは良かったのですが、
最近、どうも、「怪しげな」使われ方をしている気がしてなりません。
場合によっては「大人の事情」という言葉そのものを使わずに、
その状況だけが発生している・・・。
つまり、
「ちゃんと説明しようとすると複雑だし分かりにくいでしょう。
 でも、大丈夫ですから、信じてください。
 というわけでOKということでよろしくお願いいたします。」
という流れで「人の良い」人々や地域が払わなくてもいい犠牲を払っている。
具体例は挙げるまでもないでしょう。
これには「大人の事情」手法を用いる側の問題はさることながら、
その状況に鈍感であった人々の責任もあります。
先日、作家の村上春樹氏が「脱原発」について
「これまで日本ではそういう声が上がってこなかった」
とも取れる趣旨の話をしていましたが、
決してそんなことは無かったはずです。
唯一の被爆国である日本で、
戦後間もない頃から様々な形でそれは訴えられてきたのです。
問題は、それに耳を傾ける姿勢を培う教育や民主主義のありかたが
追求されてこなかったということです。
脱原発を支持するか否かはともかく、
そういった、私たちの身近な問題について、
様々な形で上げられている切実な声に、
私たちはしっかりと耳を傾けていかなければならないでしょう。
そして同時に神妙な顔をしながら、
実際には「大人の事情」という鎧で保身しながら、
じりじりと近づいてくる脅威に対して、
敏感でなければならないのです。

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