アリへの哀歌

アリへの哀歌

こんにちは、バラックです。
今年もまたこの季節がやってきました。この季節というのは梅雨というのでも初夏というのでもなく、虫の季節です。
我がアパートは古い木造であちこちに隙間があるため、いろいろな生き物がいつの間にか部屋の中に入っています。皆さんになじみのゴキブリはもちろん、クモやヤスデ、ときにはヤモリまで。最初はいちいちぎょっとしましたが、生物に本質的に備わっている(と信じたい)適応力によって私もすっかりこれらのお客さんたちに動じなくなりました。
しかし一つだけ例外があります。アリです。奴らはお客さんという生ぬるいレベルではありません。侵略者です。アリは最初一匹だけで偵察にやってきます。そのうち2匹、3匹と目にする機会が増えていき、ある朝目覚めたら布団の上を何匹ものアリが、床の上にはあちらにもこちらにもアリが、という状況になっています。そして奴らはさらに砂糖ツボの中、電子レンジの上、食器棚の中にまで入り込み始めるのです。目を向けるところすべてにアリがいる、という状態でほぼ侵略完了です。
世の中にはこういう侵略者向けの様々な薬剤が販売されていますが、毎年のようにこの侵略者に遭遇してきた私は独自に撃退方法を発見しました。用意するものは簡単です。台所用の中性洗剤とスポンジ、そしてアリが入り込んでくるところから続いているアリの列です。
ゴキブリに中性洗剤をかけると気孔をふさぎ、窒息死させることができると聞きます。またアリは偵察部隊が残したフェロモンをたどって餌場までいくと聞いたことがあります。そこでこの二つを組み合わせたわけです。抽選洗剤をしっかり泡立てたスポンジで、おそらくここから入り込んできていると思われるポイントからアリの行列をそのスポンジでサーっとなぞります。もちろん侵略者たちは死んでしまいます(ごめんなさい)。そしてしばらくその泡を放置しておくと、まあ、見事にアリのすがたを見かけなくなります。
こうして侵略者に対する大虐殺を完了させ(ちなみに侵略途中では水攻め、コロコロでプチプチつぶすなど様々に命を奪いました)、また次の年を待つのです。
さて、どうでもいい話でしたがこれを少し学問的な話に結び付けてみましょう。
文化人類学的にこのアリの侵略について説明します。(文化人類学は社会学と考え方がたいそう近い学問ですが、思考や研究の対象となるのが異文化、や異なる社会になります)
なぜ私はアリを「侵略者」と考えたのでしょうか。
答えは簡単です。アリが家の中に入ってきたからです。外にいるアリを虐殺したりはしません。
これはつまり、私が、「アリは家の中にいるものではなく、家の外にいるものなのだ」と考えているということになります。
すなわち、アリが私が想定している家の中/外という境界線を破ったのです。私たちは世界の様々なものに対してこうした概念上の境界を引き、世界を秩序だてています。この秩序が破られる、あるべきものがあるべき場所にない、境界が乱された、ということ、これがアリが家の中にいることへの気持ち悪さなのです。
(この家の中と外という概念上の境界は日本人にとってわかりやすいでしょう。家の中を土足で入ることにすごく抵抗がありませんか?)
さて、少し納得してもらえたでしょうか。もう少し知りたいという人は『人類学のコモンセンス』という入門書にこの境界の話がもっとわかりやすい言葉で説明されています(もともとこの境界の説明でなぜユダヤ人が豚を食べないのか、という問いに答えたのが『汚穢と禁忌』という人類学の古典的名著です)。
もし文化人類学に興味をもって学びたいというのであれば、わりと多くの大学で学べますが、「専攻」できるところはあまり多くありません・・・ただ国公立ではわりと充実しており、北大、千葉、埼玉、大阪など中ゼミ社会学系の人気校でもかなり専門的に学べるところがありますよ。
気が付けば6月ももう半ば。あっという間ですね。
最近面談をしているとずいぶん疲れたり不安になったりしている方が多いようです。梅雨時は日照時間が少なくセロトニンが出なかったりむしむししてだるくなったりしてしまう時期ですから仕方ありませんが、そういう時はうまく気分転換をしてやる気を出してくださいね。「不安になるのはしょうがない、じゃあこうしよう」、と積極的な行動にうまく変換していきましょう!

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