文学的であることと社会学的であること。

文学的であることと社会学的であること。

一昨日何気なく冒頭に出した俵万智さんですが、
例えば、彼女の作品である「チョコレート革命」について
どういう視点でどう捉えるかによって文学系でも社会学系にもなり得ます。
今さらではありますが、どんな作品かをおさらい。
「男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす」
これの解釈については既に多くの人によって様々になされているのですが、
例えば、「チョコレート革命」の部分を、
「チョコレート」で切るのか切らないのか、
切るならそれは何を示しているのか、
「大人の返事」は何を指しているかとか。
説明を極力排除して感情を表現するのが短歌や俳句であり、
鑑賞する側には通常の文章に比べて広い想像の幅があるわけで、
そこで妥当性のある独自の解釈をすることがつまりは文学の領域なのです。
社会学的な立場から見れば「小さいことをちまちまやってんなー」と思われるかもしれません。
一方、ここでの「男」とはバレンタインにチョコレートを「もらう側」の人間であり、
女性はその男性に対して「愛の告白」をする存在です。
今でこそ、そうではなくなりつつありますが、
「女性はチョコレートがあって初めて男性に告白できる」という状況は、
「男は堂々と女は控え目に」という日本人の男女観の現れであると見ることも可能です。
こういう視点から見れば、社会学の領域になるわけです。
まあ、文学の面から見れば「何をそんな情緒の無いことを」と思われるかもしれません。
それぞれの立場に対して批判的でも馬鹿馬鹿しいと思っても構いません。
ですが、自分が取り組んでいるあるものの裏側に、
そういう世界が広がっていることは知っておくべきでしょうね。
久々に読みたくなった・・。
NS

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