二重被爆者である山口彊さんが、
「世界一不幸な男」としてBBCクイズ番組内でネタにされ、
BBCが謝罪するという事態になっています。
山口さんは93歳ですでにお亡くなりになっていますが、
その人生が被爆者としてのあらゆる苦痛と共にあったであろうことは、想像に難くありません。
それをネタにするとは言語道断です。
しかし。
この憤りは何から来るのだろう、と考えてみると、
問題は別のところにも向かっていきそうです。
唯一の被爆国で生きている日本人として?
理不尽に未来を奪われるべきではない生き物として?
原爆などというものを生み出してしまう人間として?
全て当てはまるのかもしれませんが、
やはり一つ目に基づくものが大半を占めている気がします。
だとすれば、逆の立場に立って見た場合、
もしかしたら知らず知らずのうちに、
同じようなことをしている可能性があるのかもしれないわけです。
つまり、ある人々にとっては非常に重く深刻なものごとが、
他の人々の中にはそれほど重大なものとは捉えられておらず、或いは捉えられず、
理解し合えないまま、溝だけが深まっていく―。
文化や民族性や宗教。
理由は様々に指摘できますが、
もしかしたら上に挙げた「その他の憤り」が、
解決のための重要な手がかりになるのかもしれません。
グローバリゼーション、国際化、ボーダレス。
確かに世界は小さくなりつつあり、互いの境目は曖昧になってきています。
でもそれは部分的な話で、
別の越えるべき壁の高さはどんどん増していっている気がします。
「小さくなっていく」世界で、私たちは何を見て生きていくべきなのか。
もちろんBBCの罪は重いですが、
これをきっかけにして問われる問題は少なくないようです。
NS
1月23