お久しぶりです、と言うのもはばかられるほど久方ぶりです、赤い実です。
まりもさんが素敵にブログを継続してくれていたおかげで、読者を失わずに済みました。
まりもさん、ありがとうございます!!
二日ほど続いた春先の嵐の後、きれいな晴空が広がっていますね。
こんな土曜日はどっかいきたくなります。
で、明日の日曜日もさらに春めくようで・・・
だったら、人が集まって混み合う場所ではなく、
適度に賑やかな高円寺に足を運んでみませんか。
そして高円寺に来たなら是非中ゼミへ。
大学院についてどこよりも詳しい情報が得られるイベント、
「春の進学ナビ」が開催されていますよ!
予約もお金も必要ありません、大学院という言葉が気になったら、気軽にふらっとお越しください。
ちなみに来週は編入志望者対象の進学ナビがあります。
春になると私は日本から脱出したくなります。
いや、本音を言えばいつだって脱出したい人間なのですが、
これまで春に脱出することが多かったので余計にそういう気持ちになるのでしょう。
で、実際めでたく脱出したとして、その後必ず帰国という悲しい現実が待ち受けているのですが、
どこから帰ってくるにしても、成田空港で迎える「日本的なもの」にいつも違和感を覚えます。
京都・琴の音・桜・和服・・・
もちろんこれらはいわゆる「日本的なもの」であることには違いないのですが、
何か「ほら、日本だよ。あなたもこれらに心を震わす日本人でしょ」という押し付けを感じてしまうわけです。
それに対し、「いや、日本人とかいう前に私は私だから」と、もだえる自分を内側に感じずにはおれないわけです。
そのようなものに心を震わせることが悪いわけではありません、もちろん、全く。
ただ、この問題の最も重要な点は、それを「押し付けられていると感じる」ことにあるわけです。
このように、「自分が何者であるか」に関わる問題は、社会学でも学べる内容です。
例えばJリーグの試合で掲げられた「Japanese Only」の幕の問題も、
沖縄八重山の教科書採択に国が直接介入することの問題も、
(何、それ?と思った人は是非調べてみましょう)
結局のところ「自分が何者であるか」を押し付けられることに対する「もだえ」と根っこのところではつながっているのです。
ただし、「もだえ」るだけでは人を説得できないので、社会学が必要になるわけです。
どうつながるかは--後日に回しましょう。
社会学は、目に見えないもやもやをも学問的に説明してくれます。
「なんか変だな」が学問になったもの、
それが
社会学です。
とりあえず、ナビ、待ってます!